忘却不能な恋煩い〜再会した彼は、恋焦がれた彼女を溺愛する〜
紗世の秘密
 ダイニングバー・オードリーは美琴の勤務する病院から歩いて行ける距離にある。電車でも行けるのだが、たった一駅乗るよりは、のんびり歩きたい気分だった。

 バーの扉が見えてくる。ここも今日で三回目。前回来た時とは違って、気持ちは穏やかだった。

 扉を開けると、カウンター席に座る紗世の姿が見えた。

 駆け寄ろうとして、一度踏み止まる。ちゃんと話せるだろうか。いろいろシミュレーションはしてきたが、自信はなかった。

 そのうちに紗世が気付き、美琴に手を振った。

「遅くなっちゃってごめんね!」
「ううん、私もさっき来たところ」

 美琴は紗世の隣に座る。

「何か頼んだ?」
「本日のパスタと季節のカクテル」
「あっ、私も同じのをお願いします」

 カウンターの中にいたバーテンダーに注文をするが、前回の男性ではなかった。

「紗世から誘ってくれるなんて珍しいよねえ」

 美琴は軽く言ったが、それを聞いた紗世は顔を引きつらせる。

「あ、当たり前じゃない! あのまま美琴ちゃんを置いてお店を出ちゃったし、どうなったのか気になって仕方なかったわよ〜。しかも当の本人は全然連絡くれないし」

 紗世の視線が痛いほど突き刺さる。

「ご、ごめんね! なんかいろいろあって……」
「連絡を忘れた、と」
「うっ、返す言葉もございません……」
「……まぁいいわ。その代わり今日は根掘り葉掘り聞くから覚悟してね!」
「もちろんです……」

 今日は長くなりそうだ。

* * * *

 いつも思うのだが、紗世は麺類を食べるのが異様に早い。美琴はまだ半分残っているのに、紗世は話を聞く気満々で待っている。

「で?」

 紗世の言葉に促され、尋人と再会した夜のことを思い返す。

「あの後彼の会社に停めてあった車で彼の家まで行って、今までのことをいろいろ話したの」
「どうだった?」
「うん、いろんな誤解があって、それが解けた感じかなぁ。彼は私のことを一晩で終わらせるつもりはなかったみたい。友達としてでも繋がろとしたらしいんだけど、私は勝手に勘違いしていなくなっちゃったって」
「そっか……。あの二人、意外とお似合いじゃない? って千鶴ちゃんは言ってたんだよね。でも私はあの男が胡散臭くて最後まで信用出来なかった」
「わかる。なんかチャラかったもんね〜。あの後話したから印象変わったけど。でも二人が先に話してくれたから私も少し信用出来て話せたんだよ」
「そうなの?」
「もちろん。だから二人には感謝してる。彼ね、あの後このバーに何度か来て私を探してくれたみたい。でもその後仕事でアメリカに行っちゃったから、どちらにしても会えなくなっちゃったね」

 もしあの後私がこのバーに来たとしても、会えた可能性は低かった。

「そうなんだ。いつ帰国したの?」
「三ヶ月前って言ってたかなぁ」
「どちらにせよ、あの男との出会いの後の帰国なのね……」

 もう少し早ければ、またいろいろ変わっていたのだろうか。でもこのバーに来なければ再会は果たされなかったわけだし、きっと結果は変わらなかった。

「さて、再会して一週間経つけど、関係はどういう感じ?」

 紗世は知らないふりを装って、うっすらと笑みを浮かべて問いかける。彼から聞いただけだし、きちんと美琴の気持ちを確認したかったのだ。

 美琴は食べ終えたパスタの皿を端に寄せると、顔を真っ赤にして下を向く。

「あの、驚かないで聞いて欲しいんだけど、私尋人と付き合うことになって……」

 あぁ、やっぱり事実だったんだ。彼から事前に聞いていたため、そこまで驚きはしなかったが、事実であるという衝撃は大きい。

「彼がね、今は二股でもいいって言ってくれて……」
「そっか……まだ終わらせてはいないんだね……」

 美琴は頷く。

「この間、山脇さんから着信があったの。出てちゃんと言わなきゃって思ったのに、体が動かなくて……」

 あの時のことを思い出すと、今も胸が締め付けられるように苦しくなる。

「山脇さんて、余計な詮索をされるとちょっと不機嫌になるんだよね。美琴はそんなこと知らなくていいんだよって優しく言うけど、なんか牽制されたような気持ちになって落ち込んで。しかも自分の話ばかりで、私は相槌を打ったりオーバーにリアクションしたり。私は本音で会話が出来なかった」

 それでも素敵なお店に連れて行ってくれたり、プレゼントをくれたり、愛してるの言葉に浮かれていた。

「でも尋人といるとね、山脇さんといる時と全然違う気持ちになるんだ。まぁ再会があんな感じだったし、猫かぶっても仕方ないのもあるけど、ちょっと毒吐いても笑ってくれるの。私の話を黙って聞いてくれて、間違っていたら正してくれる」

 美琴の表情がふっと緩む。それを見て紗世は安心した。

「好きになっちゃった?」
「うん……でもたぶん三年前からずっと好きなんだと思う」
「なるほど。相性が良かったのは体だけじゃなかったのねぇ」
「さ、紗世ってば!」
「わかるわよ〜。お肌ツルツルだもん。毎日愛されてるんでしょ〜?」

 美琴は照れて顔を覆うが、ピタリと動きが止まる。手を少しずらし、紗世の視線だけで追う。

「毎日って……一緒に住んでること話したっけ?」

 今度は紗世が固まる。顔が青ざめる。

 墓穴掘っちゃった……。まぁ言うなとは言われていないしね。
 
 紗世は一息つくと、カクテルを一気に飲み干す。

「この間ね、津山さんがうちの会社に来たのよ」
「えっ……なんで紗世のこと知ってるの?」

 そして自分が紗世の会社と役職を漏らしたことを思い出し、血の気が引いた。

「ご、ごめん! 私が喋った! 大丈夫だった?」

 紗世は首を振って笑う。

「美琴ちゃんは会社名と役職を話しただけでしょ? 津山さんはうちの会社に高校の後輩がいて、その人から私に連絡が来ただけだから大丈夫」
「本当? なんかごめんね」
「津山さんともちゃんと話したかったから好都合だったのよ。おかげで津山さんが美琴を大事にしていることを知れたしね。ただびっくりしたことがあって」
「何?」
「津山さんの後輩というのが、なんと波斗先輩だったの」
「えっ! そんなことってあるの⁈ 偶然にしても出来過ぎ……」

 まさか尋人と波斗先輩が繋がっているとは想像もしなかった。というのも、紗世は会社が一緒だから波斗先輩と会うだろうが、美琴はたまに開かれる飲み会で会う以外に接点はないのだ。思った以上に世間が狭いことに驚く。
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