忘却不能な恋煩い〜再会した彼は、恋焦がれた彼女を溺愛する〜
津山氏、来訪
とうとうこの日がやってきた。尋人は珍しく緊張していた。
スーツのシワなど入念にチェックし、髪型もなるべく清潔感が出るよう気をつける。髭の剃り残しもない。何個もミントのタブレットを噛み砕く。
「美琴、手土産は……」
「大丈夫、持ったよー」
書斎でずっとソワソワしている尋人を見て、美琴は思わずクスリと笑う。いつも完璧にこなす尋人の意外な一面を見て、すごくかわいく見えてしまったのだ。
美琴は書斎の扉をノックしてから部屋に入ると、尋人の前に立ってネクタイに触れる。
今は練習をして、ネクタイを直せるようになった。もうあんなヤキモチ妬きたくないしね。
「うん、今日の尋人も素敵。本当に私好み過ぎて困っちゃう」
すると尋人は思いがけない言葉に驚きながらも、ホッとしたように美琴を抱きしめる。
「俺、かなりテンパってる?」
「うふふ、かなりね。見ててわかるよ。でも大丈夫。うちの親、そんなに怖くないから。いつも通りの尋人で大丈夫だよ」
その言葉で自信を取り戻したのか、尋人が美琴にキスをする。
「うん、大丈夫そうだ。ありがとう」
今日まで挨拶の仕方や、家に着いてからの流れをネットで調べ尽くしたじゃないか。やることはやった。あとは実践あるのみだ。
* * * *
玄関先で待ち構えていた美琴の父と母は、尋人を見た途端に表情がパッと輝いた。娘が初めて彼氏を連れてきたことはもちろんだが、品の良い営業スマイルに二人ともイチコロだった。
「初めまして、美琴さんとお付き合いをさせていただいております、津山尋人と申します。本日はお忙しい中、お時間を作っていただきありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「そんなそんな……あっ、どうぞ中にお入りくださいな」
母はウキウキした様子で尋人を中に誘導する。
「ありがとうございます。では失礼いたします」
さすが尋人だ。自分の両親に丁寧に挨拶をする姿を見て嬉しくなる。さっきまではテンパってたけどね……そのことを思い出して笑いそうになるのを堪える。
リビングに入ると、尋人は部屋の雰囲気に驚く。外観は普通の一軒家だったが、リビング全体がハワイアンテイストでまとまっていた。
「これは……素敵ですね」
「あら、ありがとう。私たち、新婚旅行がハワイだったものだから、そこからこういう雰囲気に憧れちゃったのよ〜」
「そこのカウンターは私が一からDIYで作ったんですよ」
なるほど、美琴がインテリアにこだわるのはこの御両親の影響が大きいんだな。
ダイニングテーブルで向き合うと、全員が緊張したような空気になる。そこへお茶を運んできた母が尋人に話しかけた。
「津山さんと美琴はいつからお付き合いしてるの?」
「知り合ったのは三年ほど前ですが、ちゃんとお付き合いをするようになったのは三ヶ月前です」
「じゃあそれまではお友達だったの?」
「えぇ。美琴さんの優しさやかわいらしい所に私が惚れ込んでしまいまして、交際をお願いした次第です」
嘘は言っていないけど、うまくかわす尋人に感心する。三ヶ月前に再会して今に至りますなんて言ったら、父も母も心配するに違いない。
「失礼ですがお仕事は……」
「ブルーエングループの本社で働いています」
尋人なりに考えて、あえて専務という役職は伏せた。それを美琴も察する。専務なんて言ったら引いてしまうかもしれないから。
会話は和やかに進んでいた。会話が途切れた所でとうとう尋人が切り出した。
「美琴さんとお付き合いをさせていただいて、彼女の優しさや懐の深さに甘えてしまう時もあるのですが、これからは私が彼女を守り幸せにしたいと思っています。美琴さんとの結婚を認めていただけませんか?」
その言葉を聞いて、美琴の父と母は泣きそうになる。
「私たちは美琴が幸せならそれでいいんですよ。二人が決めたことなら応援しますから! ねっ? お父さん」
「それはもちろん! ただ一つお願いがあります」
父の真剣な表情を見て、尋人も構える。
「同居は籍を入れてからにしていただきたいのです。なにぶん古い人間なのはわかっているのですが、きちんと夫婦になってからにしていただきたい!」
熱く語る父に対し、尋人と美琴は一瞬固まる。しかし尋人は爽やかな笑顔で、
「もちろんです!」
と答えたのだ。
完全に嘘をついちゃった……まぁ心配をかけないための嘘だし、もっと言えば美琴の部屋はまだ解約していない。それならばセーフだろう。
すると尋人はスーツのジャケットから一枚の紙を取り出すと、テーブルに上には置いた。
『婚姻届』
それを見て美琴と父は目を見開く。
「こ、これは……?」
「もしお父様さえ宜しければ、証人の欄にサインをいただけないでしょうか。私たちもまだ記入していないので、ここで一緒に書かせていただけたらと思いまして……」
「……ありがとう。是非書かせてもらうよ」
美琴は尋人の用意周到な様子に驚きはしたものの、この特別な日の特別な場所で、家族みんなで共有できることが嬉しかった。
「ありがとうございました。あとは私の父に証人になってもらって、引越しまでに提出したいと思います」
尋人が頭を下げると、父も同時に頭を下げた。
「娘をどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそありがとうございます。温かい家庭を作っていきたいです。これからよろしくお願いいたします」
彼が私の家族を大切にしてくれることが、こんなにも幸せって感じる。これが家族になるってことなのかな……。
穏やかな空気が流れ始めていた時、リビングの扉が開いた。
「美琴の彼氏が来るっていうから来てやったぞ〜!」
空気を読まないその男は、尋人を見た途端に凍りつく。
「こらっ、健! 津山さんに失礼でしょ!」
怒る母に対し、尋人は冷静に答える。
「大丈夫ですよ、お母様。彼とは知り合いなので……ねぇ、大崎くん」
尋人の笑顔を見て、健は腰を抜かした。
「な、なんで先輩がいるんだよ⁈」
叫び声もどこか貧弱だった。
しかし驚いたのは両親だった。
「えっ、先輩ってどういうこと?」
「大崎君は高校の後輩なんです」
「あら、そうだったんですか!」
冷静な尋人に対し、健は混乱を隠せない。
「なんで美琴の結婚相手が先輩なんだ……。あっ、波斗だな! あいつが何かしたんだろ⁈」
「いや、偶然バーで出会ったんだ」
「そうそう」
「鬼の会計津山だぞ。なんで美琴、鬼と付き合ってるんだよ〜!」
「津山さんに失礼なこと言うんじゃない! ちゃんと謝りなさい!」
「だっ……! だって俺にはめちゃくちゃ厳しかった先輩なんだよ〜」
「それはお前が生徒会に目をつけられる行動ばかりしていたからじゃないか」
「してねーよ! 健全な部活だ!」
「……ほう。じゃあゲリラ観測会も、休日の校内への不法侵入も、領収書にゼロを一つ書き足したのも、健全な部活だと……」
健は言葉に詰まる。
「あんた……そんなことやらかしてたの……」
「えっ……いや……その……」
「いいから津山さんに謝りなさい!」
「は、はい! すみませんでした!」
すると尋人は不敵な笑みを浮かべるとこう言った。
「いえいえ、これからよろしくお願いします、お義兄さん」
健の血の気が引いていくのがわかった。
スーツのシワなど入念にチェックし、髪型もなるべく清潔感が出るよう気をつける。髭の剃り残しもない。何個もミントのタブレットを噛み砕く。
「美琴、手土産は……」
「大丈夫、持ったよー」
書斎でずっとソワソワしている尋人を見て、美琴は思わずクスリと笑う。いつも完璧にこなす尋人の意外な一面を見て、すごくかわいく見えてしまったのだ。
美琴は書斎の扉をノックしてから部屋に入ると、尋人の前に立ってネクタイに触れる。
今は練習をして、ネクタイを直せるようになった。もうあんなヤキモチ妬きたくないしね。
「うん、今日の尋人も素敵。本当に私好み過ぎて困っちゃう」
すると尋人は思いがけない言葉に驚きながらも、ホッとしたように美琴を抱きしめる。
「俺、かなりテンパってる?」
「うふふ、かなりね。見ててわかるよ。でも大丈夫。うちの親、そんなに怖くないから。いつも通りの尋人で大丈夫だよ」
その言葉で自信を取り戻したのか、尋人が美琴にキスをする。
「うん、大丈夫そうだ。ありがとう」
今日まで挨拶の仕方や、家に着いてからの流れをネットで調べ尽くしたじゃないか。やることはやった。あとは実践あるのみだ。
* * * *
玄関先で待ち構えていた美琴の父と母は、尋人を見た途端に表情がパッと輝いた。娘が初めて彼氏を連れてきたことはもちろんだが、品の良い営業スマイルに二人ともイチコロだった。
「初めまして、美琴さんとお付き合いをさせていただいております、津山尋人と申します。本日はお忙しい中、お時間を作っていただきありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「そんなそんな……あっ、どうぞ中にお入りくださいな」
母はウキウキした様子で尋人を中に誘導する。
「ありがとうございます。では失礼いたします」
さすが尋人だ。自分の両親に丁寧に挨拶をする姿を見て嬉しくなる。さっきまではテンパってたけどね……そのことを思い出して笑いそうになるのを堪える。
リビングに入ると、尋人は部屋の雰囲気に驚く。外観は普通の一軒家だったが、リビング全体がハワイアンテイストでまとまっていた。
「これは……素敵ですね」
「あら、ありがとう。私たち、新婚旅行がハワイだったものだから、そこからこういう雰囲気に憧れちゃったのよ〜」
「そこのカウンターは私が一からDIYで作ったんですよ」
なるほど、美琴がインテリアにこだわるのはこの御両親の影響が大きいんだな。
ダイニングテーブルで向き合うと、全員が緊張したような空気になる。そこへお茶を運んできた母が尋人に話しかけた。
「津山さんと美琴はいつからお付き合いしてるの?」
「知り合ったのは三年ほど前ですが、ちゃんとお付き合いをするようになったのは三ヶ月前です」
「じゃあそれまではお友達だったの?」
「えぇ。美琴さんの優しさやかわいらしい所に私が惚れ込んでしまいまして、交際をお願いした次第です」
嘘は言っていないけど、うまくかわす尋人に感心する。三ヶ月前に再会して今に至りますなんて言ったら、父も母も心配するに違いない。
「失礼ですがお仕事は……」
「ブルーエングループの本社で働いています」
尋人なりに考えて、あえて専務という役職は伏せた。それを美琴も察する。専務なんて言ったら引いてしまうかもしれないから。
会話は和やかに進んでいた。会話が途切れた所でとうとう尋人が切り出した。
「美琴さんとお付き合いをさせていただいて、彼女の優しさや懐の深さに甘えてしまう時もあるのですが、これからは私が彼女を守り幸せにしたいと思っています。美琴さんとの結婚を認めていただけませんか?」
その言葉を聞いて、美琴の父と母は泣きそうになる。
「私たちは美琴が幸せならそれでいいんですよ。二人が決めたことなら応援しますから! ねっ? お父さん」
「それはもちろん! ただ一つお願いがあります」
父の真剣な表情を見て、尋人も構える。
「同居は籍を入れてからにしていただきたいのです。なにぶん古い人間なのはわかっているのですが、きちんと夫婦になってからにしていただきたい!」
熱く語る父に対し、尋人と美琴は一瞬固まる。しかし尋人は爽やかな笑顔で、
「もちろんです!」
と答えたのだ。
完全に嘘をついちゃった……まぁ心配をかけないための嘘だし、もっと言えば美琴の部屋はまだ解約していない。それならばセーフだろう。
すると尋人はスーツのジャケットから一枚の紙を取り出すと、テーブルに上には置いた。
『婚姻届』
それを見て美琴と父は目を見開く。
「こ、これは……?」
「もしお父様さえ宜しければ、証人の欄にサインをいただけないでしょうか。私たちもまだ記入していないので、ここで一緒に書かせていただけたらと思いまして……」
「……ありがとう。是非書かせてもらうよ」
美琴は尋人の用意周到な様子に驚きはしたものの、この特別な日の特別な場所で、家族みんなで共有できることが嬉しかった。
「ありがとうございました。あとは私の父に証人になってもらって、引越しまでに提出したいと思います」
尋人が頭を下げると、父も同時に頭を下げた。
「娘をどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそありがとうございます。温かい家庭を作っていきたいです。これからよろしくお願いいたします」
彼が私の家族を大切にしてくれることが、こんなにも幸せって感じる。これが家族になるってことなのかな……。
穏やかな空気が流れ始めていた時、リビングの扉が開いた。
「美琴の彼氏が来るっていうから来てやったぞ〜!」
空気を読まないその男は、尋人を見た途端に凍りつく。
「こらっ、健! 津山さんに失礼でしょ!」
怒る母に対し、尋人は冷静に答える。
「大丈夫ですよ、お母様。彼とは知り合いなので……ねぇ、大崎くん」
尋人の笑顔を見て、健は腰を抜かした。
「な、なんで先輩がいるんだよ⁈」
叫び声もどこか貧弱だった。
しかし驚いたのは両親だった。
「えっ、先輩ってどういうこと?」
「大崎君は高校の後輩なんです」
「あら、そうだったんですか!」
冷静な尋人に対し、健は混乱を隠せない。
「なんで美琴の結婚相手が先輩なんだ……。あっ、波斗だな! あいつが何かしたんだろ⁈」
「いや、偶然バーで出会ったんだ」
「そうそう」
「鬼の会計津山だぞ。なんで美琴、鬼と付き合ってるんだよ〜!」
「津山さんに失礼なこと言うんじゃない! ちゃんと謝りなさい!」
「だっ……! だって俺にはめちゃくちゃ厳しかった先輩なんだよ〜」
「それはお前が生徒会に目をつけられる行動ばかりしていたからじゃないか」
「してねーよ! 健全な部活だ!」
「……ほう。じゃあゲリラ観測会も、休日の校内への不法侵入も、領収書にゼロを一つ書き足したのも、健全な部活だと……」
健は言葉に詰まる。
「あんた……そんなことやらかしてたの……」
「えっ……いや……その……」
「いいから津山さんに謝りなさい!」
「は、はい! すみませんでした!」
すると尋人は不敵な笑みを浮かべるとこう言った。
「いえいえ、これからよろしくお願いします、お義兄さん」
健の血の気が引いていくのがわかった。