彼と私のお伽噺
◇
その日の終業後。定時過ぎに会社を出た私は、ゆっくりと駅に向かって歩いていた。
今夜は昴生さんに夕飯はいらないと言われているから、頑張って料理をする必要もない。家の最寄り駅直結のスーパーでお惣菜を買って帰ろうかな。
ぼんやりとそんなことを考えていると、私の横をタクシーが通り過ぎて行って、数メートル先で止まった。
後部座席から降りてきたのは、髪の長い綺麗な女性。
ベージュのパフスリーブのワンピースを身に纏った彼女は、スーツ姿の会社員たちが行き交うオフィス街でとても目立っていて。自然と通行人の視線を集めている彼女が妃香さんだと気付くのにそれほど時間はかからなかった。
どうして彼女がこんなところに……。
オーケストラに所属するヴァイオリニストである彼女が、ショッピングモールがあるわけでもないオフィス街にいるのはどう考えても不自然だ。
タクシーから降りて、しばらく周囲をきょろきょろと見回していた妃香さんがスマホを見ながら歩き出した。
どうやら、地図アプリを見ながらどこかへ行こうとしているらしい。
妃香さんの背筋の伸びた後ろ姿を見つめながら、なんだか嫌な予感がした。