冷血帝王の愛娘はチートな錬金術師でした~崖っぷちな運命のはずが、ラスボスパパともふもふ師匠に愛されすぎているようです~
番外編 ティララの生まれた日
ゴロゴロと雷光が雲を裂く。黒い雲は耐えきれないように涙を落とした。
エヴァンの蒼白な頬に一粒の雨が落ちてきた。冷血帝王エヴァンはイライラとして空を見上げた。
雨雲は怯えるようにゴロと鳴った。
「まだか、まだ生まれないのか!」
エヴァンは魔王城安全地帯の小さな家の前にいた。安全地帯に逃げ込んでいた魔族たちは恐れをなして逃げ隠れてしまっている。
赤子に必要な物はすべて用意した。安産祈願もお守りもありったけ用意している。あとは生まれてくるのを待つばかりだった。
待ちきれないエヴァンはゴンゴンと扉を叩いた。すると、中からしわくちゃな老婆が現れた。
「魔女よ! 暁の魔女よ! どうだ!! もう二日だ! いいかげん赤子も生まれるだろう!! なにをしている!!」
「魔王様。少しお静かにして下さい。闇の魔力が影響します」
「闇の魔力?」
「そうです。奥様は人間です。出産時の体力がないときに闇の魔力の影響を受けては進む出産も進みません」
その一言を聞くと、エヴァンはズササとドアから距離を取った。
「そうか」
「また、赤子も同じです。体が弱い赤子には魔王様の魔力は強すぎるでしょう。邪眼で睨まれたら一瞬で死んでしまいます。どうぞ、魔力をおさめてくださいまし」
エヴァンは自分の手のひらをジッと見て、ギュッと握り絞めた。そして、きつく目を瞑り空を仰いだ。
邪眼を、強大な闇の魔力をこれほど疎ましく思ったのは初めてだ。
ゴロゴロと雨雲が力なく泣いている。
エヴァンの髪も乱れている。妻が産気づいてから、エヴァンは産婆である暁の魔女を自ら呼びに行き、不眠不休で待っているのだ。
しかし、二日経っても赤子はまだ生まれない。妻の苦しむ声が部屋の中から聞こえてくる。難産なのである。
ただでさえ、魔族と人族の間に子供が生まれた話は聞かない。しかも、魔王の子供である。生きて生まれるか、なにがどう生まれるか、産婆にすらわからなかった。
「子供は……妻は……だいじょうぶなのか……?」
エヴァンは薄目で暁の魔女を見た。
暁の魔女は怒りの形相でエヴァンを見た。
「出産は誰にとっても命がけなのです! 邪魔しないでくださいまし!」
ピシャリとそういうと、ドアをすげなく閉める。
エヴァンはなすすべもなく、家の周りをグルグルと歩き回った。
小雨がポツポツとエヴァンを濡らす。エヴァンは飲まず食わずで家の周りを歩き続ける。その間、空は曇ったままだ。
もう暁の魔女に叱られてから二日経った。
「……やはり……子供など無理だったのか……」
自分がただの人間だったら、妻の側で手を取り励ますこともできたかもしれない。
産婆と一緒になにかできることもあっただろう。
しかし、今のエヴァンはあまりにも無力だった。欲しいものはなんでも手に入れてきた。望みは全部叶えてきた。しかし、魔王と人間の子、それを人間が生むなど、望んではいけないことだったのだ。
だったら、せめて妻だけは、彼女の命だけは助けたい。
そう思った瞬間、家から大きな泣き声が響き渡った。
「生まれたか!!」
エヴァンは破顔して家の窓に飛びついた。
勢い余って額がぶつかり、ゴチンと音がした。カーテンの閉められた窓に耳を付け様子を窺う。
赤子の鳴き声が聞こえる。
窓を破り家に入ろうとして、ハッとする。赤子には闇の魔力が良くないと暁の魔女から言われていたからだ。
一歩後ろに下がる。窓から距離を取る。もう少し距離を取ったほうがよい、そう思いつつ、後ろ髪が引かれてそれ以上離れられない。
ジッと窓を見てカーテンが開くのを待つ。
しばらくしてカーテンが開かれた。
暁の魔女が赤子を抱いている。
暁の魔女はエヴァンを見ると、涙のにじんだ瞳で微笑んだ。
「おめでとうございます」
そして杖を一振りする。
窓ガラスが金色に輝いた。暁の魔女が強力な保護魔法を掛けたのだ。
「魔王様、もっと近くにおいでませ」
「よいのか?」
「はい。私が魔法を掛けましたゆえ。金色の光りがあるあいだは、この窓越しであれば赤子に闇の魔力は届きませぬ」
エヴァンはオズオズと窓ガラスに近寄った。部屋の奥では妻がベッドでスライムに寄りかかり、こちらに微笑みかけている。
雨は上がり、雨雲の間から光りが差し込んでくる。
エヴァンは窓ガラスに両手を付け、額を付け、マジマジと赤子の顔を眺めた。赤子の目はまだ開いていない。しわくちゃで真っ赤な顔をしている。
エバンの闇の魔力を受け、金色の光りがチリチリと光った。
「猿みたいだな」
エヴァンが言うと、暁の魔女はギッと睨んだ。
「可愛らしい姫様にございます」
「……姫……娘か」
「はい」
「そうか、娘か。ならば、妻に似た絶世の美女になるであろうな」
エヴァンは微笑んだ。
頭頂部を薄く覆う産毛は白色で、うっすらと青色の液体がついていた。母の血液である。
青い血は特別な魔道具を作り出す素材だ。魔王を倒す聖剣を作るのも青い血だと言われていた。この青い血が娘に引き継がれないことを願う。
「名前をつけてほしいと奥様が」
「俺が付けて良いのか?」
エヴァンは妻を見た。ベッドの妻はコクリと頷く。
「……そうか、では……ティララと」
以前妻と話した、「もし子供が生まれたら」という話題の中で出た名前のひとつだった。今は残っていない、豊穣の女神の名前だ。
「では、ティララ様に祝福を」
暁の魔女はそういうとエヴァンを見た。エヴァンは首をかしげる。
「魔王様、ここに手をつけてくだされ」
暁の魔女は再度自分の手に守護の魔法をこめ、ガラスにつけた。
暁の魔女の言うとおり、エヴァンは窓ガラスに手をつけた。ビリビリと守護魔法が音を立てた。
暁の魔女は赤子の手を取り、窓ガラス越しにエヴァンの手に触れさせた。
「偉大なる大魔王の娘ティララ姫に、幸いを」
暁の魔女が唱える。
「世界中の幸いをわが娘に与えん」
エヴァンも唱えた。
赤子が小さく微笑んで、薄く瞼を上げた。
「夜明け色の瞳だ」
「はい。きっと立派に育ちます」
暁の魔女はそういうと赤子を窓から離す。
エヴァンは名残惜しいあまり、窓に手をついたまま赤子を見つめた。
チリチリと黄金の光りが色を失っていく。夕焼けのように光りが闇に溶けてゆく。
エヴァンは薄れゆく黄金の光りを切なく思いながら、ギリギリまで窓に手をついていた。
そしてガラスが透明に戻った瞬間、その指を離す。
そして、その指先をギュッと握り混んだ。
「暁の魔女よ……、俺の魔力は娘を殺すのだな?」
「……姫様が小さいうちはお気をつけくださいませ。邪眼で見つめたり、魔力を向けたりしてはいけません」
「そうか。暁の魔女よ、……礼を言う」
エヴァンが小さく微笑んで、暁の魔女は息を呑んだ。
冷血帝王と恐れられ、礼など言う男ではなかったからだ。
「ティララを、妻の命を守ってくれてありがとう」
「もったいなきお言葉です」
「そして妻に伝えて欲しい。『ティララを生んでくれてありがとう』とな」
暁の魔女は自分の胸元を握り絞め、思わず俯いた。胸が苦しく、目の奥が熱い。
魔王がこんな言葉を発するとは思わなかった。人の男ですら、なかなか言葉にできないセリフだ。
「……魔王様、大魔王様……。それはぜひご自身でお伝えください。そのままのお言葉を一言手紙にするだけで良いのです」
暁の魔女は鼻をすすった。
「なぜだ?」
暁の魔女は顔を上げた。鼻の頭が少し赤い。
「母としてこれ以上嬉しい言葉はありませんから」
「……そうか、そうなのか。では早速手紙を書こう」
エヴァンはそういうとマントを翻して、暁の魔女に背を向けた。
いつも冷たく美しい背中が、今日は汚れ疲れ、くたびれている。しかし、そこには光が差して、いつもより輝いて見えた。
「きっと良い父になられます」
暁の魔女が独りごちる。腕の中の小さな赤子は穏やかに眠っていた。