離婚するはずが、心臓外科医にとろとろに溶かされました~契約夫婦は愛焦れる夜を重ねる~
 改めて見るとまだ高校生くらい、素直で屈託のない笑顔が印象的だった。

 それが当時病院のベーカリーコーナーで父親のパンの販売の手伝いをしていた凛音だった。

 純粋なお礼を断るのも悪いと思い、暁斗は素直にパンを受け取った。

 パンはどれも美味しかったが、特にメロンパンはあまり甘いものを好まない暁斗でもあっというまに食べてしまえるくらい美味しかった。

 当時、院長の息子だという理由だけで『ボンボン』と陰口を叩かれたり、逆に取り入ろうとして露骨にすり寄ってくる人間、はたまた将来性を見越してか色仕掛けで迫ろうとする看護師がいたりなど、仕事以外の所で疲弊していた暁斗は、パンを差し出して来た時の彼女の裏の無い笑顔にホッと息を付けた気がした。

 ただそれだけの出会いだった。暁斗はその後すぐに研修医の期間を終え、九王を去り山海大学病院で勤務することになった。

 一度だけしか面識が無い上に、名前も知らない女の子の記憶は薄れていたのだが、福原に食堂で初めて凛音とで引き会合わされた時不思議とすぐに『あぁ、あの時の子だ』と思い出すことが出来た。
 
 女性らしく成長し、美しくなっていたが、優しくて明るい雰囲気はあの時のままだった。

 両親を亡くし、苦労しながら相変わらずの笑顔でいる彼女に同情する気持ちは有れど、特別な感情を抱いているわけでは無いと思っていた。
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