三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
1 落ちていた男
とにかく最高の金曜日だった。
プラチナとも呼ばれる倍率のチケットを手に入れ、仕事を定時でダッシュ退勤し、推しの舞台の夜公演を見に行った。
ゲーム原作のその舞台は、神様をその身に降ろして戦う巫って少年とか青年たちの熱いバトルが売りで、これがもう神か天才かという最高さだった。
たっぷり三時間、泣いたし笑った。その興奮のまま、食事がてら友人とテンションマックスの感想を語りまくった深夜0時過ぎ。
良い気分で自宅のマンションに帰ったら、隣部屋のドアの前に男性が落ちていました。
え、いや、ちょっと待って。
落ちていたのはもしゃっとした髪の毛の、えーと、多分同年代くらいの男性。
ドアの前、タイル敷きの地面にリラックスした体育座りみたいな格好で座り込んでいる。背がずいぶん高いんだろう、折り曲げた足はそれでも廊下を半分以上塞いでしまいそうに長かった。
え、ヤダなにこわい。
女の独り暮らしなので、深夜に自宅付近で見知らぬ男性が座り込んでるとか、ちょっとまじで怖かった。
いや、いきなり襲いかかってきたりはしないだろうけど。その可能性がある、そういうことの出来る人が目の前にいる、っていうだけで怖い。突然話しかけられたりしたらどうしよ。あ、どうも、とかおかしなこと言いそうで怖い。
不肖ワタクシ涼水鈴、自慢じゃないが二次元オタクでコミュ弱なのだ。
障ではない。あくまで弱だ。それでもスマートにナンパを躱すとか、そういうスキルを持ってるはずがない。むしろキョドって引かれるのがオチだ。
いや引かれたら引かれたで、むしろこの場合願ったりなんだけど。
しかし現実問題、管理会社とかに電話しようにもこの時間だから誰も出ないだろうしな。
いっそこれは、不審者ですって警察に通報してお出まし願うしかないのかな、とか一瞬で色々考えた。
……考えた、ところで、むくりと男性が立ち上がった。
わーやっぱり背が高い。もしゃもしゃの髪で目元が見えない上に、このご時勢なのでマスクをしている。え、顔がまったく見えないんですけど余計にこわい。
「あの……」
そして部屋に逃げ込もうにも、わたしの部屋は奥の角部屋だからこの人をすり抜けなければ入れないのだ! 詰んだね!! 話しかけてきたよ!!
「すいません、お隣の涼水さん……ですよね? 俺、この部屋に住んでる小高です」
へ。
「あの、引っ越しの時にご挨拶させて貰ったかと思うんですが。おだ……いや前野か、前野鳴の弟の」
「ああ!」
間抜け面を晒しているわたしに、男性はものすごーく申し訳なさそうにして背を屈めながら、ぼそぼそと言った。
そうだ、そうだった、とわたしは詰めていた息を吐く。
良かった不審者じゃなかった! ごめんなさい警察に通報しなくて良かった!!
「どうしたんですか。何かお困りですか」
いや困ってなければ座り込んだりしないよねー、と思いながら、わたしは背の高いその人を見上げた。
この場合、鍵をなくしたとかそういうやつだろうか。でもわたしに言われたってスペアキーなんて持ってないしなあ。
とか思っていたら。
その人は、ものすごーくものすごーく申し訳なさそうに背を丸めたまま、元からもしゃっとしている髪をくしゃりと掻き混ぜた。
「その……、鍵とスマホを仕事場に置いてきてしまって。でも、仕事場もう誰もいなくて入れないし、連絡も誰にもできなくて。涼水さんなら、姉ちゃんに連絡出来るんじゃないかと思って……お願いしたいんですけど」
ああ、そうか、そういうことか、とわたしは納得する。
元々、隣に住んでいたのは大学時代の先輩、鳴さんだった。
在学中に起業しちゃうようなスーパーな女性で、いつもパワフルな、大好きな先輩。
ありがたい事に可愛がって貰っているので、今も連絡は取っているし、たまに食事したりもする。
先輩は結婚を機にここを引っ越したんだけど、だから、弟さんに部屋を貸してるんだよね。
で、引っ越しの挨拶以来四年間全然顔を合わせていなかったけれど、この人がその弟さん、と。
「大丈夫ですよ! じゃあ、先輩に連絡してみますね」
途端に警戒心は引っ込んだ。
挨拶の時にも思ったけど、この弟さん、図体はでかいのに物腰は柔らかいというか、こう、荒々しさがないから。コミュ弱のわたしでも落ち着いて対応出来る。
見かけだけは小動物みたいな先輩にべちん! って頭叩かれたりしながら、それでもおとなしーく言う事聞いてるのが印象的だった。
だから、悪い人じゃないと思うんだ。そもそも、先輩の弟さんだしね。
なんだーよかったー、とホッとしながらスマホを取り出した。いつもはラインとかだけど、さすがにこの事態だから、いきなり電話しても許されたい。
トゥルルルル、トゥルルルル、とおさだまりのコールが4回。
いつもよりちょっと待ったぐらいで、すぐにチャッ、と通話の始まるノイズがした。
『もしもしー? こんな夜中にどした! 久し振りだね』
スマホ越し、「こんな夜中」だというのにめっちゃ元気な先輩の声。相変わらずのパワフルさにホッとする。いやー、電話出てくれて良かったよ。
「あの、お久し振りです。夜中にすいません」
『いーよいーよ! リンなら朝方四時とかにかけてきても許すよ! てゆかまじでどした? 緊急じゃなきゃアンタいっつもラインとかだよね、いきなり電話とか滅多にかけてこないじゃん。遠慮しなくていいのにさー』
好き。もう先輩まじでめちゃ好き。
「あの、実はですね……」
と言うわけで、かくかくしかじか説明する。弟さんはものすごーく申し訳なさそうに、ドアの前で背を丸めてじっとしてた。
いいよ恐縮すんなよ、困った時はお互い様だぜ。だいたい、わたしも先輩にはめちゃくちゃお世話になったしなー。その分の恩返しだよ。
『まじで? ルイそこに居んの』
わたしが説明し終わるのを待って、先輩がちょっとひそめた声でそう言った。
『ごめん、ちょっと替わってくれる? あ、ていうかスピーカーにしていいよ通話。何話してっか解らないと気持ち悪いでしょ』
この気遣いよ。さすが先輩、ホント愛してる。
言われた通りに通話をスピーカーにして、わたしはスマホを弟さんに差し出した。
「替わってほしいそうです、どうぞ」
「本当にすいません……」
おずおずと差し出された手が、そっとわたしの手からスマホを持っていく。
ほえー、身体が大きい人は手も大きいんだなあ。ていうか骨張っててきれいな手してる。なんてぼんやり思う。
「もしもし、姉ちゃん?」
『ルイあんたまじで何してんの。ていうか今日仕事あったんでしょ、明日も昼夜両方なんでしょ。休まないと死ぬわよ』
「いや……、だから俺も結構疲れてて、そのせいで忘れ物しちゃったと思うんだけど。さすがに、昼夜連続で六日目だったから」
ふむふむ、六連勤とな? というか明日は土曜日だけど仕事って、普通のサラリーマンって訳じゃないのかな。昼夜とか言ってるしまさかのダブルワークか。
まあ、普通のサラリーマンではないんだろうな。だっておっきなロングコートの下から見えるのはジーンズとニットで、会社勤めなら着てるはずのスーツとかじゃないし。
にしてもスタイルいいなこの人。
「姉ちゃん、ここの鍵持ってるでしょ。こんな時間に悪いんだけど、持って来てもらえないかな」
ああなるほど、だから先輩に電話か。
とわたしがひとり納得していると、先輩はスパッと。
『え、ごめんそれは無理。あたし今大阪だよ』
プラチナとも呼ばれる倍率のチケットを手に入れ、仕事を定時でダッシュ退勤し、推しの舞台の夜公演を見に行った。
ゲーム原作のその舞台は、神様をその身に降ろして戦う巫って少年とか青年たちの熱いバトルが売りで、これがもう神か天才かという最高さだった。
たっぷり三時間、泣いたし笑った。その興奮のまま、食事がてら友人とテンションマックスの感想を語りまくった深夜0時過ぎ。
良い気分で自宅のマンションに帰ったら、隣部屋のドアの前に男性が落ちていました。
え、いや、ちょっと待って。
落ちていたのはもしゃっとした髪の毛の、えーと、多分同年代くらいの男性。
ドアの前、タイル敷きの地面にリラックスした体育座りみたいな格好で座り込んでいる。背がずいぶん高いんだろう、折り曲げた足はそれでも廊下を半分以上塞いでしまいそうに長かった。
え、ヤダなにこわい。
女の独り暮らしなので、深夜に自宅付近で見知らぬ男性が座り込んでるとか、ちょっとまじで怖かった。
いや、いきなり襲いかかってきたりはしないだろうけど。その可能性がある、そういうことの出来る人が目の前にいる、っていうだけで怖い。突然話しかけられたりしたらどうしよ。あ、どうも、とかおかしなこと言いそうで怖い。
不肖ワタクシ涼水鈴、自慢じゃないが二次元オタクでコミュ弱なのだ。
障ではない。あくまで弱だ。それでもスマートにナンパを躱すとか、そういうスキルを持ってるはずがない。むしろキョドって引かれるのがオチだ。
いや引かれたら引かれたで、むしろこの場合願ったりなんだけど。
しかし現実問題、管理会社とかに電話しようにもこの時間だから誰も出ないだろうしな。
いっそこれは、不審者ですって警察に通報してお出まし願うしかないのかな、とか一瞬で色々考えた。
……考えた、ところで、むくりと男性が立ち上がった。
わーやっぱり背が高い。もしゃもしゃの髪で目元が見えない上に、このご時勢なのでマスクをしている。え、顔がまったく見えないんですけど余計にこわい。
「あの……」
そして部屋に逃げ込もうにも、わたしの部屋は奥の角部屋だからこの人をすり抜けなければ入れないのだ! 詰んだね!! 話しかけてきたよ!!
「すいません、お隣の涼水さん……ですよね? 俺、この部屋に住んでる小高です」
へ。
「あの、引っ越しの時にご挨拶させて貰ったかと思うんですが。おだ……いや前野か、前野鳴の弟の」
「ああ!」
間抜け面を晒しているわたしに、男性はものすごーく申し訳なさそうにして背を屈めながら、ぼそぼそと言った。
そうだ、そうだった、とわたしは詰めていた息を吐く。
良かった不審者じゃなかった! ごめんなさい警察に通報しなくて良かった!!
「どうしたんですか。何かお困りですか」
いや困ってなければ座り込んだりしないよねー、と思いながら、わたしは背の高いその人を見上げた。
この場合、鍵をなくしたとかそういうやつだろうか。でもわたしに言われたってスペアキーなんて持ってないしなあ。
とか思っていたら。
その人は、ものすごーくものすごーく申し訳なさそうに背を丸めたまま、元からもしゃっとしている髪をくしゃりと掻き混ぜた。
「その……、鍵とスマホを仕事場に置いてきてしまって。でも、仕事場もう誰もいなくて入れないし、連絡も誰にもできなくて。涼水さんなら、姉ちゃんに連絡出来るんじゃないかと思って……お願いしたいんですけど」
ああ、そうか、そういうことか、とわたしは納得する。
元々、隣に住んでいたのは大学時代の先輩、鳴さんだった。
在学中に起業しちゃうようなスーパーな女性で、いつもパワフルな、大好きな先輩。
ありがたい事に可愛がって貰っているので、今も連絡は取っているし、たまに食事したりもする。
先輩は結婚を機にここを引っ越したんだけど、だから、弟さんに部屋を貸してるんだよね。
で、引っ越しの挨拶以来四年間全然顔を合わせていなかったけれど、この人がその弟さん、と。
「大丈夫ですよ! じゃあ、先輩に連絡してみますね」
途端に警戒心は引っ込んだ。
挨拶の時にも思ったけど、この弟さん、図体はでかいのに物腰は柔らかいというか、こう、荒々しさがないから。コミュ弱のわたしでも落ち着いて対応出来る。
見かけだけは小動物みたいな先輩にべちん! って頭叩かれたりしながら、それでもおとなしーく言う事聞いてるのが印象的だった。
だから、悪い人じゃないと思うんだ。そもそも、先輩の弟さんだしね。
なんだーよかったー、とホッとしながらスマホを取り出した。いつもはラインとかだけど、さすがにこの事態だから、いきなり電話しても許されたい。
トゥルルルル、トゥルルルル、とおさだまりのコールが4回。
いつもよりちょっと待ったぐらいで、すぐにチャッ、と通話の始まるノイズがした。
『もしもしー? こんな夜中にどした! 久し振りだね』
スマホ越し、「こんな夜中」だというのにめっちゃ元気な先輩の声。相変わらずのパワフルさにホッとする。いやー、電話出てくれて良かったよ。
「あの、お久し振りです。夜中にすいません」
『いーよいーよ! リンなら朝方四時とかにかけてきても許すよ! てゆかまじでどした? 緊急じゃなきゃアンタいっつもラインとかだよね、いきなり電話とか滅多にかけてこないじゃん。遠慮しなくていいのにさー』
好き。もう先輩まじでめちゃ好き。
「あの、実はですね……」
と言うわけで、かくかくしかじか説明する。弟さんはものすごーく申し訳なさそうに、ドアの前で背を丸めてじっとしてた。
いいよ恐縮すんなよ、困った時はお互い様だぜ。だいたい、わたしも先輩にはめちゃくちゃお世話になったしなー。その分の恩返しだよ。
『まじで? ルイそこに居んの』
わたしが説明し終わるのを待って、先輩がちょっとひそめた声でそう言った。
『ごめん、ちょっと替わってくれる? あ、ていうかスピーカーにしていいよ通話。何話してっか解らないと気持ち悪いでしょ』
この気遣いよ。さすが先輩、ホント愛してる。
言われた通りに通話をスピーカーにして、わたしはスマホを弟さんに差し出した。
「替わってほしいそうです、どうぞ」
「本当にすいません……」
おずおずと差し出された手が、そっとわたしの手からスマホを持っていく。
ほえー、身体が大きい人は手も大きいんだなあ。ていうか骨張っててきれいな手してる。なんてぼんやり思う。
「もしもし、姉ちゃん?」
『ルイあんたまじで何してんの。ていうか今日仕事あったんでしょ、明日も昼夜両方なんでしょ。休まないと死ぬわよ』
「いや……、だから俺も結構疲れてて、そのせいで忘れ物しちゃったと思うんだけど。さすがに、昼夜連続で六日目だったから」
ふむふむ、六連勤とな? というか明日は土曜日だけど仕事って、普通のサラリーマンって訳じゃないのかな。昼夜とか言ってるしまさかのダブルワークか。
まあ、普通のサラリーマンではないんだろうな。だっておっきなロングコートの下から見えるのはジーンズとニットで、会社勤めなら着てるはずのスーツとかじゃないし。
にしてもスタイルいいなこの人。
「姉ちゃん、ここの鍵持ってるでしょ。こんな時間に悪いんだけど、持って来てもらえないかな」
ああなるほど、だから先輩に電話か。
とわたしがひとり納得していると、先輩はスパッと。
『え、ごめんそれは無理。あたし今大阪だよ』
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