三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
「はーい皆、お疲れさん」
キンコーン、と、終業を報せるチャイムが鳴る。
部長がニコニコ手を叩いて、終業に気付いてない社員の顔を上げさせた。
「ノー残業目標だからね。申請もなかったし、早く帰ってしっかり休んでねぇ」
はーい、とあちこちから声が上がる。
うちの部長さんは定年間近のおっとりしたおじさんで、うちの部は、何だかちょっと高校の教室みたいな雰囲気がある。
まあ、営業部みたいにノルマとかなくて、部長さんの校長先生みがあるお人柄のおかげだと思うんだけど……。
「……帰ろう」
わたしもふらりと立ち上がった。
いや、うんまあ、帰れないんですけど。これから累さんと買い出しなんですけども。
(深く考えない方がいいのかも知れない)
色々考えたって、目の前の現実は厳然として目の前にある訳で。何も変わらない。
だとしたら、どうにかそれについてくしかないんだよな……。
お疲れさまでしたと挨拶をして、早々にフロアを退出した。
スマホを取り出す。
切っていた着信音を戻すために電源を入れると、累さんからはもう一通、ラインにメッセージが入っていた。
『そろそろ着くよ。俺の車、ホンダのシャトルって車。解るかな。メタリックグレーの、そんなに大きくない車だよ』
わからん。
そんな時は目の前の板、とエレベーターへ乗る隙に、スマホで検索をかけてみる。
出て来たのは、荷物がたっぷり積めるゆったりした感じの車で……、え、何だかかっこいいんですが。
でも一目で車種を見分ける自信はない。どうしよ。
「お疲れさまですー」
「お疲れさまでしたー」
あちこちで交わされる声を聞きながら、ロビーを抜けた。ありきたりの、退勤の風景だ。
そうしてビルを出る。この辺に来る、って累さん言ってたけど、もう着いてるのかな……。
とにかくサッと乗ってサッと出発して、人目に付かないようにしなければならない。
こういう時ってコートの前をぎゅっと合わせて、身を縮めてしまうものですね。いかにも怪しい素振りになってるんじゃないかわたし。
そうしてきょろきょろ辺りを見回す、わたしに。
「涼水さん!」
こんな時に限って、声を掛けてくる人がいた訳です。……まじか。
「涼水さん!」
いつもなら絶対呼び止められたりなんてすることがないのに、このタイミングよ。
誰だよ!? と半ばキレ気味に振り返ったわたしを追いかけてきたのは、同期入社で本社の企画部に配属されたえーと……たしか杉山君、だった。
よくうちの支店のフロアにも顔出すから、何となく憶えてる。自分の企画したPB商品の出方とか、そういうののデータを早く見たいとか言って、仕入れ票見に来たりするんだよね。
「杉山くん」
「良かった、追い付いた。……涼水さん、いっつも帰るの早いよね。俺追い付けないんだよなあ」
「そ、それはすいません……」
多分同じ歳の杉山くんは、見るからにこう、イケてるオーラを出していらっしゃる。
なんかどっかで受付の誰さんが狙ってるとか、かっこいいよねとか、そういう話を聞いたことがある。基本、社内でそんなに仲良くしてる人もおらんから、通りすがりにとかだけど。
でもまあ、それは解るよ。
焦げ茶色の、無造作な感じだけどしっかり似合ってる髪型とか、お顔もうん、良いんだろうなって思うし。
でも、だから、近寄りたくないんですが。
「あはは、いいよ、俺が伝言役で追っかけ回してただけだしさ。あのね」
俺たち入社して丸三年過ぎたわけじゃない、と杉山くんは言った。
「今年の暮れにさ、同期会みたいなのやらないかって話が出たんだよね。でもさ、同期、本社と支社とで結構分かれちゃったでしょ。俺が本社側の幹事やるから、涼水さん支社側の幹事やって貰えないかなと思って」
は?
「なんだかんだ、事務には皆お世話になってるから行き来もあるし、お願いしたいんだけど。どうかな?」
えーヤだ正直面倒い。
と、思っても、ここでキッパリは断れないのが、社会人というものである。
「わたしより適任がいると思いますけど」
「うーん、受付の子とかだとさ……同期会っていうよりコンパになりそうな感じがしてさ。そういうのじゃないんだよね……」
おお、伝説のコンパ。
わたしは出たことないけど、コンパ! 縁がなさ過ぎて最早、何の略かもパッとは出て来ないコンパ!
まじでやってる人いるのかー、都市伝説じゃないんだー、なんて的外れな感動をわたしがしていると、杉山くんはぐいっと一歩、わたしに近付いて、顔を寄せてきた。
「でさ、涼水さんこのあと時間ある? ちょっとその辺の話したいからさ、どっかカフェでお茶か……良かったら食事でもしながら相談しない?」
え、いや。
「あの、すいません。わたしこのあとちょっと」
答えながらさりげなく一歩下がって、距離を保つ。
のに。
「え、予定あったりする? 待ち合わせとか?」
その一歩分、また杉山くんはにこにこと踏み込んで来た。
ヒー!
何で食いついてくるのこの人!!
「いえあの、その」
「そうじゃないなら、行こうよ。俺の奢り! 涼水さんって何が好きな人? 食べたいものとかある?」
にこにこ笑顔の杉山くんはきっと気の良い人で。人懐っこくて、ノリが良くて、解る解るそういうタイプのわたしとは別人種の悪気とかなんにもない人なんだろう。
解るけど! 解るんだけど、あの、ちょっと。
答える余裕をくれませんか杉山くん!
「俺こないだちょっと良い店見つけてさ、……」
キョドるわたしに、杉山くんはニコニコ顔のまま腕を伸ばして、自然に、それはもうごく自然に私の腕を。
捕まえよう、と。
「ちょっと、きみ」
して。
「この子に何か用かな。……男が、不躾に女の子に触るもんじゃないよ」
キンコーン、と、終業を報せるチャイムが鳴る。
部長がニコニコ手を叩いて、終業に気付いてない社員の顔を上げさせた。
「ノー残業目標だからね。申請もなかったし、早く帰ってしっかり休んでねぇ」
はーい、とあちこちから声が上がる。
うちの部長さんは定年間近のおっとりしたおじさんで、うちの部は、何だかちょっと高校の教室みたいな雰囲気がある。
まあ、営業部みたいにノルマとかなくて、部長さんの校長先生みがあるお人柄のおかげだと思うんだけど……。
「……帰ろう」
わたしもふらりと立ち上がった。
いや、うんまあ、帰れないんですけど。これから累さんと買い出しなんですけども。
(深く考えない方がいいのかも知れない)
色々考えたって、目の前の現実は厳然として目の前にある訳で。何も変わらない。
だとしたら、どうにかそれについてくしかないんだよな……。
お疲れさまでしたと挨拶をして、早々にフロアを退出した。
スマホを取り出す。
切っていた着信音を戻すために電源を入れると、累さんからはもう一通、ラインにメッセージが入っていた。
『そろそろ着くよ。俺の車、ホンダのシャトルって車。解るかな。メタリックグレーの、そんなに大きくない車だよ』
わからん。
そんな時は目の前の板、とエレベーターへ乗る隙に、スマホで検索をかけてみる。
出て来たのは、荷物がたっぷり積めるゆったりした感じの車で……、え、何だかかっこいいんですが。
でも一目で車種を見分ける自信はない。どうしよ。
「お疲れさまですー」
「お疲れさまでしたー」
あちこちで交わされる声を聞きながら、ロビーを抜けた。ありきたりの、退勤の風景だ。
そうしてビルを出る。この辺に来る、って累さん言ってたけど、もう着いてるのかな……。
とにかくサッと乗ってサッと出発して、人目に付かないようにしなければならない。
こういう時ってコートの前をぎゅっと合わせて、身を縮めてしまうものですね。いかにも怪しい素振りになってるんじゃないかわたし。
そうしてきょろきょろ辺りを見回す、わたしに。
「涼水さん!」
こんな時に限って、声を掛けてくる人がいた訳です。……まじか。
「涼水さん!」
いつもなら絶対呼び止められたりなんてすることがないのに、このタイミングよ。
誰だよ!? と半ばキレ気味に振り返ったわたしを追いかけてきたのは、同期入社で本社の企画部に配属されたえーと……たしか杉山君、だった。
よくうちの支店のフロアにも顔出すから、何となく憶えてる。自分の企画したPB商品の出方とか、そういうののデータを早く見たいとか言って、仕入れ票見に来たりするんだよね。
「杉山くん」
「良かった、追い付いた。……涼水さん、いっつも帰るの早いよね。俺追い付けないんだよなあ」
「そ、それはすいません……」
多分同じ歳の杉山くんは、見るからにこう、イケてるオーラを出していらっしゃる。
なんかどっかで受付の誰さんが狙ってるとか、かっこいいよねとか、そういう話を聞いたことがある。基本、社内でそんなに仲良くしてる人もおらんから、通りすがりにとかだけど。
でもまあ、それは解るよ。
焦げ茶色の、無造作な感じだけどしっかり似合ってる髪型とか、お顔もうん、良いんだろうなって思うし。
でも、だから、近寄りたくないんですが。
「あはは、いいよ、俺が伝言役で追っかけ回してただけだしさ。あのね」
俺たち入社して丸三年過ぎたわけじゃない、と杉山くんは言った。
「今年の暮れにさ、同期会みたいなのやらないかって話が出たんだよね。でもさ、同期、本社と支社とで結構分かれちゃったでしょ。俺が本社側の幹事やるから、涼水さん支社側の幹事やって貰えないかなと思って」
は?
「なんだかんだ、事務には皆お世話になってるから行き来もあるし、お願いしたいんだけど。どうかな?」
えーヤだ正直面倒い。
と、思っても、ここでキッパリは断れないのが、社会人というものである。
「わたしより適任がいると思いますけど」
「うーん、受付の子とかだとさ……同期会っていうよりコンパになりそうな感じがしてさ。そういうのじゃないんだよね……」
おお、伝説のコンパ。
わたしは出たことないけど、コンパ! 縁がなさ過ぎて最早、何の略かもパッとは出て来ないコンパ!
まじでやってる人いるのかー、都市伝説じゃないんだー、なんて的外れな感動をわたしがしていると、杉山くんはぐいっと一歩、わたしに近付いて、顔を寄せてきた。
「でさ、涼水さんこのあと時間ある? ちょっとその辺の話したいからさ、どっかカフェでお茶か……良かったら食事でもしながら相談しない?」
え、いや。
「あの、すいません。わたしこのあとちょっと」
答えながらさりげなく一歩下がって、距離を保つ。
のに。
「え、予定あったりする? 待ち合わせとか?」
その一歩分、また杉山くんはにこにこと踏み込んで来た。
ヒー!
何で食いついてくるのこの人!!
「いえあの、その」
「そうじゃないなら、行こうよ。俺の奢り! 涼水さんって何が好きな人? 食べたいものとかある?」
にこにこ笑顔の杉山くんはきっと気の良い人で。人懐っこくて、ノリが良くて、解る解るそういうタイプのわたしとは別人種の悪気とかなんにもない人なんだろう。
解るけど! 解るんだけど、あの、ちょっと。
答える余裕をくれませんか杉山くん!
「俺こないだちょっと良い店見つけてさ、……」
キョドるわたしに、杉山くんはニコニコ顔のまま腕を伸ばして、自然に、それはもうごく自然に私の腕を。
捕まえよう、と。
「ちょっと、きみ」
して。
「この子に何か用かな。……男が、不躾に女の子に触るもんじゃないよ」