三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
『そうか。んじゃまあ午後だけでもいっか……、メシも一緒にと思ったんだけどな。二時半から、中谷さんの舞台がかかってるんだよ。梅原さんに関係者席のチケット貰ったから、観に行かない?』
今回、舞台監督を務めてくれた梅原さん、からの中谷さん。
……と来るからには、演出家の中谷彰だろう。自分も何度か、彼の舞台に出たことがある。
「開演が二時半ですか」
『そう。まあ、三時間はない短めのヤツだよ。原作付きの』
「……それじゃあ、お供させてください。お誘いありがとうございます、勉強させて貰います」
中谷彰の手がける舞台なら、見ておいて絶対損はない。頷いた累に、電話の向こう、成瀬はからからと笑った。
『よし、それじゃ一時半頃迎えに行くわ。俺、車出すから』
「あ、いえ。……」
公演が終わるのは五時前だとしても、終わって即解散というわけでもないだろう。そのあと少しお茶でも飲んで、となれば、出先から直接彼女のところへ行くようになるかも知れない。
「俺も、車で行くんで」
『お? 珍しい。解った。んじゃ劇場で待ち合わせだな』
詳しい時間と場所とを確認して、電話を切る。スマホをポケットにしまい直した時には、既にコーヒーは落ちきっていた。
「ん。できた」
マグカップにそそいで、いそいそとダイニングに戻る。ショッパーから取り出したマフィンはベーコンやほうれん草、チーズを混ぜ込んだものだった。
甘い物が苦手な累のために、きっと考えて作ったのだろうことが良く解る。
「………………」
ああ。
「本当に、かわいいなぁ……」
累はふにゃりと笑った。
どんなグラビアでも、オフショットでも、撮られたことのない顔をしていた。
そのまま食べられるように、と、ワックスペーパーで可愛らしく包んである気遣いも嬉しい。小さなカードに、ゆっくり休んでくださいね、と添えられている一言も嬉しい。
その小さな積み重ねが、彼女という人の解像度を上げていく。
そうして、その全てが、三年前に貰った手紙に繋がっていた。あの手紙の子なんだと、思わず頷くようなことばかりだった。
―――身体を冷やすと、気持ちも沈みます。
これは甘くないココアです。ココアの成分は身体を温めます。
もし手足の指が冷たかったら、騙されたと思って飲んでみてください。
そうして、手足が暖かくなったら、あったかいお布団でゆっくり眠ってみてください。―――
「……ふふ」
思い出して、累は小さく笑った。
いつかあの時の気持ちを、ただ感謝というだけではない気持ちを。
彼女にもきちんと伝えられたら、と思うものの、言葉に出来る気はまったくしない。
―――累は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だ。
そもそも、自分の感情を正確に把握することさえ得意ではない。言葉にすることが苦手なので、余計に、自分自身の感情にさえ名前を付けて整理することができないのだろうが。
だから、話を振られた時にも、答えるまでに時間が掛かる。
それが付き合いのない人になればなるほど、誤解のないようきちんと答えなければ、と思ってしまうので、余計に考え込む時間が増える。
だけど、そんな性格は、あまりトークバラエティ向きではない。当然のことだが。
考えているうちに返答は諦められ、話題は次へ移ってしまうことも多々あった。
つまるところ、累はあまり器用な性格をしていなかった。
簡単に流してもいいし、そこまで本気で捉えることもない。ちょっと考えます、と最初に宣言してもいい。やりようはいくらでもあった。
しかしそのどれも思いつかないまま、考えているうちに返答は諦められ、見た目の印象も手伝って、無視を決め込まれていると思われてしまった。
……それで炎上したのが、三年前の話だ。
(……実際、あれは堪えたなあ)
さすがにへこんだ。
思ったよりも役者の仕事に熱中して、本腰を入れてこの仕事に取り組んでいた最中でもあった。大きな役もいくつか経験して、まさにこれからというところだった。
やっぱり、自分にはこの仕事が、というより人前に出たり、人と関わる仕事が向いていないのではないか。そう思い悩んだりもした。
そんな時に送られてきたのが、彼女―――『鈴』、つまり隣人である涼水鈴からの手紙だった。
「あ、おいしい」
朝食用に、入っていたマフィンは三つ。売っている物よりサイズが大きい。
ベーコンとマッシュルーム、ブロッコリーの入ったものがひとつ、ごろっと角切りにしたチーズを混ぜ込んで黒こしょうをかけたものがひとつ、スモークサーモンとほうれん草の入ったものがひとつ。
手始めにとかぶりついたベーコンのマフィンは、生地自体の甘みも減らしているのだろう。塩気が利いていて、あとから小麦と卵の味に紛れた甘さをほんのり感じる程度だ。
……押し付けてはこないから、ただ、ひそやかに感じとるしかない、彼女の心。気持ち。その優しさ。
あの手紙もそうだった。
―――叩かれた累に、ファンからの応援は頼もしく届いた。手紙も、メールも沢山貰った。
負けないで。
応援しています。
だけど溢れるその言葉に、降り積もっていく彼ら彼女らの気持ちに溺れてしまいそうになった時、喘ぐようにふと手に取った手紙が鈴からのものだった。
彼女からの手紙には、励ましも何もなかった。
件の炎上にも言及していなかった。
そこに書き連ねられていたのは、まるで親しい友人へ向けるような、やわらかな労りと気遣い。
最近は立て続けに舞台へ立っていたけれど、それだけ忙しいと疲れていないか。痩せていっているように見えるから、沢山おいしいものを食べて、可能ならゆっくり眠ってくださいね。
疲れると身体が冷える。もし、手足が冷たかったら、このココアを試してみてください―――けして押し付けては来ない、やわらかに寄り添ってくれるような、まるで間近から顔を覗き込まれて心配されているような。
そんな手紙と、添えられていたココアの暖かさに、どれほど癒やされたことだろう。
そして、あの手紙と。
「ふふ。……これも美味しい」
今、手を伸ばした二つ目のマフィンから感じるやさしさは、同じものだ。
(は? 理解されない?……じゃあ、逆にアンタは、誰か一人でも理解出来てるって思う人、いんの?)
今回、舞台監督を務めてくれた梅原さん、からの中谷さん。
……と来るからには、演出家の中谷彰だろう。自分も何度か、彼の舞台に出たことがある。
「開演が二時半ですか」
『そう。まあ、三時間はない短めのヤツだよ。原作付きの』
「……それじゃあ、お供させてください。お誘いありがとうございます、勉強させて貰います」
中谷彰の手がける舞台なら、見ておいて絶対損はない。頷いた累に、電話の向こう、成瀬はからからと笑った。
『よし、それじゃ一時半頃迎えに行くわ。俺、車出すから』
「あ、いえ。……」
公演が終わるのは五時前だとしても、終わって即解散というわけでもないだろう。そのあと少しお茶でも飲んで、となれば、出先から直接彼女のところへ行くようになるかも知れない。
「俺も、車で行くんで」
『お? 珍しい。解った。んじゃ劇場で待ち合わせだな』
詳しい時間と場所とを確認して、電話を切る。スマホをポケットにしまい直した時には、既にコーヒーは落ちきっていた。
「ん。できた」
マグカップにそそいで、いそいそとダイニングに戻る。ショッパーから取り出したマフィンはベーコンやほうれん草、チーズを混ぜ込んだものだった。
甘い物が苦手な累のために、きっと考えて作ったのだろうことが良く解る。
「………………」
ああ。
「本当に、かわいいなぁ……」
累はふにゃりと笑った。
どんなグラビアでも、オフショットでも、撮られたことのない顔をしていた。
そのまま食べられるように、と、ワックスペーパーで可愛らしく包んである気遣いも嬉しい。小さなカードに、ゆっくり休んでくださいね、と添えられている一言も嬉しい。
その小さな積み重ねが、彼女という人の解像度を上げていく。
そうして、その全てが、三年前に貰った手紙に繋がっていた。あの手紙の子なんだと、思わず頷くようなことばかりだった。
―――身体を冷やすと、気持ちも沈みます。
これは甘くないココアです。ココアの成分は身体を温めます。
もし手足の指が冷たかったら、騙されたと思って飲んでみてください。
そうして、手足が暖かくなったら、あったかいお布団でゆっくり眠ってみてください。―――
「……ふふ」
思い出して、累は小さく笑った。
いつかあの時の気持ちを、ただ感謝というだけではない気持ちを。
彼女にもきちんと伝えられたら、と思うものの、言葉に出来る気はまったくしない。
―――累は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手だ。
そもそも、自分の感情を正確に把握することさえ得意ではない。言葉にすることが苦手なので、余計に、自分自身の感情にさえ名前を付けて整理することができないのだろうが。
だから、話を振られた時にも、答えるまでに時間が掛かる。
それが付き合いのない人になればなるほど、誤解のないようきちんと答えなければ、と思ってしまうので、余計に考え込む時間が増える。
だけど、そんな性格は、あまりトークバラエティ向きではない。当然のことだが。
考えているうちに返答は諦められ、話題は次へ移ってしまうことも多々あった。
つまるところ、累はあまり器用な性格をしていなかった。
簡単に流してもいいし、そこまで本気で捉えることもない。ちょっと考えます、と最初に宣言してもいい。やりようはいくらでもあった。
しかしそのどれも思いつかないまま、考えているうちに返答は諦められ、見た目の印象も手伝って、無視を決め込まれていると思われてしまった。
……それで炎上したのが、三年前の話だ。
(……実際、あれは堪えたなあ)
さすがにへこんだ。
思ったよりも役者の仕事に熱中して、本腰を入れてこの仕事に取り組んでいた最中でもあった。大きな役もいくつか経験して、まさにこれからというところだった。
やっぱり、自分にはこの仕事が、というより人前に出たり、人と関わる仕事が向いていないのではないか。そう思い悩んだりもした。
そんな時に送られてきたのが、彼女―――『鈴』、つまり隣人である涼水鈴からの手紙だった。
「あ、おいしい」
朝食用に、入っていたマフィンは三つ。売っている物よりサイズが大きい。
ベーコンとマッシュルーム、ブロッコリーの入ったものがひとつ、ごろっと角切りにしたチーズを混ぜ込んで黒こしょうをかけたものがひとつ、スモークサーモンとほうれん草の入ったものがひとつ。
手始めにとかぶりついたベーコンのマフィンは、生地自体の甘みも減らしているのだろう。塩気が利いていて、あとから小麦と卵の味に紛れた甘さをほんのり感じる程度だ。
……押し付けてはこないから、ただ、ひそやかに感じとるしかない、彼女の心。気持ち。その優しさ。
あの手紙もそうだった。
―――叩かれた累に、ファンからの応援は頼もしく届いた。手紙も、メールも沢山貰った。
負けないで。
応援しています。
だけど溢れるその言葉に、降り積もっていく彼ら彼女らの気持ちに溺れてしまいそうになった時、喘ぐようにふと手に取った手紙が鈴からのものだった。
彼女からの手紙には、励ましも何もなかった。
件の炎上にも言及していなかった。
そこに書き連ねられていたのは、まるで親しい友人へ向けるような、やわらかな労りと気遣い。
最近は立て続けに舞台へ立っていたけれど、それだけ忙しいと疲れていないか。痩せていっているように見えるから、沢山おいしいものを食べて、可能ならゆっくり眠ってくださいね。
疲れると身体が冷える。もし、手足が冷たかったら、このココアを試してみてください―――けして押し付けては来ない、やわらかに寄り添ってくれるような、まるで間近から顔を覗き込まれて心配されているような。
そんな手紙と、添えられていたココアの暖かさに、どれほど癒やされたことだろう。
そして、あの手紙と。
「ふふ。……これも美味しい」
今、手を伸ばした二つ目のマフィンから感じるやさしさは、同じものだ。
(は? 理解されない?……じゃあ、逆にアンタは、誰か一人でも理解出来てるって思う人、いんの?)