三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
「姉ちゃん!?」

 先輩までがばっと立ち上がって、ぐいぐい累さんの頭を押し始めた。

「えっ、先輩その」
「いや正直言い出したのは野次馬根性だったけど! でもさリンちゃん、本気で、この子にご飯食べさせてやって欲しい! お願いします!!」

 あ、これ、まじなやつだ。

「姉ちゃん!」

 おおっ、珍しく累さんが抵抗している!

「姉ちゃんダメだって。ただでさえ昨日今日って俺迷惑掛けてるのに、これ以上なんて」
「うっさいお前は黙って土下座しな不健康野郎!!」

 理不尽! いや理不尽じゃないけどなんていうか!

「嫌われたらどうすんだよ!!」
「このくらいで嫌うようなケツの穴のちっさいヤツじゃねえわあたしの後輩舐めんな!?」
「そういう問題じゃないでしょ、だいたい何だよそれ!」

 あああ、ちょ、ちょっとお待ちください姉弟喧嘩勃発とかまじでご勘弁。

「アンタこのままじゃ三十前に栄養失調で死ぬよ!」
「そこまで不健康じゃないよ! だいたいサプリとか気にしてるし、俺ももういい歳した大人なんだから自分で」
「あのー!」

 現在、午前九時半。
 閑静なマンション、だいたいの人はお休みの土曜日午前中。

「わたしなら大丈夫ですから! 喧嘩しないでください、話し合いましょう!」

 しまった、わたしまで大声になっちゃった。

「あ」
「……あ」

 わたしの勢いに、喧嘩してた姉弟は我に返ったみたいに揃って言い合いをやめた。良かった。

……このマンション、広々リビングに寝室ふたつキッチンバストイレ別の角部屋という豪華さの一室をですね、起業してバリバリ社長業をこなしている先輩ならいざ知らず、二十六才しがない事務職OLのわたしが所有なんて到底できるはずもない話で。

 海外赴任中の叔父さんの持ち物なんですよ。そこを借りてるって話なんですよ、セキュリティがしっかりしてるからって、独り暮らしを心配した叔父さんのご厚意で。
 だから騒音で住民トラブルとかほんっっっと困るんです。迷惑かけられない。

「ごめん、スズちゃん。みっともないね俺たち」
「……悪い、リン。熱くなりすぎた」

 姉弟は揃って頭を下げてくれた。

 うん。
 ホント、だから大好きなんです、鳴先輩。先輩なのに、非は非としてちゃんと謝ってくれるの。言い訳とか、絶対しない。いつもあんなに強気なのにね。

 そして累さんも。やっぱりそういうところ、鳴さんの弟さんなんだな。

「でも、あたしは本気だよ。……あたしはこいつに、ちゃんとした食習慣ってやつをつけてあげられなかったから」
「姉さん」
「あたしはさ、母さんが出て行った時にはもう中学生だったから。結構上手くやってたんだ。友達ん家行ったり、買い食いしたり。たったひとつ違いでも、抜け道があったんだよ。……なのにこいつのことは、そこまで考えてやれなくて」

 先輩は悔しそうに、唇をキュって引き結んでた。

「……こいつがまともに食べないって、気が付いたのは高校に入って自分が作り始めてからだった。だけどバイトが忙しくて作るのサボったりしても、こいつ何にも言わないんだもん。適当に買い食いしてんだろって思ってたら、ある日いきなり倒れてさ……」

 倒れた!?

「栄養失調ですって医者に言われて。こいつ問い詰めたらさ、なければ食べないよ、買いに行くほどでもないしとか言うんだよ。コイツ食事の概念がおかしいんだ。食事は粗末だったり無かったりするのが、普通になっちゃってるんだって。その時初めて、知ったんだ」

 なんてこった。
 かなり闇が深かった。これはもう、わたくしめなんぞの粗末な料理などとか言ってる場合じゃない。どんな料理でも食べないよりはマシだ!

「姉ちゃん。だからあれは、俺も子供だったからだよ。今はちゃんと、食べなきゃ死ぬって実感として解ってるし。気を付けて、何かしら口に入れるようにもしてるんだよ」
「倒れてからだよね。ホント死にかけだったもんね、ガリッガリに痩せてさ。でもずっと、気になってたんだ。どうにかしないとってはずっと思ってたんだけど、父さんは当てにならないし、あたしも結構早くに結婚しちゃったし……」

 まあ失敗したんだけど、といかにも悔しげに言って、先輩は拳をぎゅっと握った。
 まあ、うん、離婚のことは今は置いておきましょうか先輩。

「アンタも芸能人になっちゃったしで、時間も擦れ違って中々会えないし。もうホントどうしようかって」
「姉ちゃん」
「……あの、もういいです。いいですから。食事くらい任せてくださいよ、どうせ自分の分作るんですよ、二人分も三人分も大して手間は変わりませんよ……!」

 だからそれ以上悲しい話はやめよう! いやひとさまの過去を悲しいとか言っちゃダメだけど!

 推しがしんどい過去を背負ってるとか耐えられない。物語ならいい。ただし現実テメーはダメだ。言っちゃあ何だが累さんだけじゃない、先輩だって推しなんですよわたしの!! 大好きだもん!!

 推しに望むのは! 心穏やかで健やかな毎日です!!

 だいたいオタクなんてすーぐ推しにうまいモン食わせたがるおばあちゃんみたいなもんなんですよ、隙あらば「お食べ……」ってそっとお菓子握らせたくなるようなもんなんですよ。そんであったかいオフトゥンですやすや眠って欲しいんですよ、お小遣いあげたいんですよ!!

 だから!!

「凝ったものとか豪華なものとか作れないですし、ほんっとただの家庭料理未満みたいなものですけど、それで良ければ。毎日三食作ったってそれほど負担じゃないですよ」

 もういっそ三食俺に任せろ! うまいかどうかはともかく、腹いっぱい食わせてやんよ……!!

「毎日三回も……!?」

 ハイそこ驚くところじゃないからね。

「だって、食事は毎日三回とるものですからね。あ、お弁当が必要なら、わたし自分も毎日お弁当なんで、一緒に作ります。言って下さい」
「………………!!」

 あ。
 何だろ、この目。めちゃくちゃキラキラしてすっごい嬉しそうな目、見たことある。

「お願いします……!!」

 累さんはやおら立ち上がって、がばっ、とまた、わたしの手を握った。

 昨日振り二回目です。ちょっと耐性がついたのか、意識が飛びそうにはなってない。今めっちゃ頬の内側噛んで、叫びそうなの堪えてるけど。

 おっきくてきれいな手が、きゅっとわたしの手を包む。ちょっとひやっとする、わたしより少し体温の低い手。ああああああ無理握手会とかも行ったことないのに! ファンサが! ファンサが今日も過剰供給……!!

 そうしてめちゃくちゃ嬉しそうに見下ろしてくるその様子に、わたしは悟った。

 わんこだ。

 これ、お散歩喜んでる実家のわんこと同じ目だ。
 推しはまさかのわんこ系男子。なんてこったい尊みしかない!!

「あの累さん、その、手、あの」

 でもそろそろ離してくれないと死ぬ。主にわたしの頬の内側の肉が、と思ったところ、累さんはなんと。

「あ、ごめん。つい嬉しくて。……でも」

 握った手を離すどころか、逆にぎゅっと、力を込めて包んできた。

「俺がこうするの、いや?……気持ち悪いかな」

 ヒーーー!!
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