月の夜 雨の朝 新選組藤堂平助恋物語
2章 違和感の始まり
花砂屋(かさごや)から壬生に戻り、芹沢を出迎えた平山たちに引き渡すとやっと平助の任務が終わる。
まだ飲みたりなさそうな芹沢に「藤堂君、きみもつきあいたまえ」
上機嫌の芹沢に誘われるが丁重に断る。
「芹沢先生、申し訳ありません。私は少し稽古をいたしますので……」頭を下げる。
「稽古をして腕を磨いたところで今の我々に披露する場など無いというのに」
平山が鼻で笑う。
「先生、行きましょう。こんな堅物と飲んでも酒が美味くないでしょう」
平助は黙ってもう一度深々と頭を下げた、それを見て気が済んだのか平山たちがへらへら笑いながら
行ってしまうと小さくため息をつく。稽古は口実ではなくほんとうにするつもりだったのだが、
押し寄せるやるせなさに疲れにふと胸に手をやり思い出す。
……そうだ、手拭い
そのまま屯所として使わせてもらっている壬生の郷士、八木家の裏庭のほうに向かった。
裏庭には先客がいる、江戸から一緒に京へ上った井上源三郎、通称 “ 源さん ”が井戸のそばで
八木家の女中、たまと洗濯をしている。
「おお……平助! 雨が上がったからみんなの溜まっていたものを洗っていたとこだよ。
おたまちゃんにも手伝ってもらって」
井上はまだ40にも手が届かないがいつも温厚で、血気盛んな若手が喧嘩をしたりしても
「どうせ腹でも減ってるんだろ」と握り飯を配るような好々爺風なところがあり、試衛館にいたころから
みなに源さん、源さんと呼ばれて親しまれている。
「源さん、いつもありがとうございます。お手伝いしますよ。ちょうど私も洗いたいものがあるんです」
「大丈夫だよ、あとはもう干すだけだから」言いながら源さんがたらいを脇へ除けて井戸の前を開けてくれた。
「急ぐのでなければ明日でも洗っておこうか? 」
「いえ、これは自分でやりたいんです……」手拭いを懐から出そうとしたとき
縁側に人の気配がしたので振り返るとにこにことした背のひょろっと高い男が立っている。
「平助さん、芹沢さんのお守お疲れ様でした! ところでどうしたんです?
戻ってくるなり洗濯ですか……」
「沖田さん……」
「だんだん源さんに似てきたなぁ、平助さん」そう言っていたずらっぽく笑っている。
沖田は試衛館でも1、2を争う実力者だったが普段の愛くるしい笑い方をみていると別人かと思う。
「人から借りたものを汚してしまったので先に洗おうと思っただけです」
今、明らかに女物と思われる手拭いなど出しては沖田の格好の餌食になる。
そう思って出しかけたものをまた懐へと押し込んだ。
「あ、土方さんが来る! 」沖田が廊下の向こうを指さす。沖田は土方には鼻が利くらしい。
いつも土方の気配を誰より早く察するようだ。
沖田の指さす方向から土方がむっつりした顔でやって来た。
「おい、藤堂君……報告を終えるところまでが仕事だぞ。こんなとこで油売ってるのは感心しないが」
「土方さんは……」薬売ってましたけどね、と沖田が言い終わらないうちに土方の怒声が飛んできたので
「じゃ、平助さん。あとはよろしくお願いしますね」沖田は慌てて逃げ出す。
ずるいな、沖田さん……そう思いながら土方のところに行く。
「先に報告によらず申し訳ございません。芹沢先生は特に問題も起こさず、今日は深酒もされなかったようです。先ほど平山さんたちに引き渡しました。」
「ふん、おもしろくもおかしくもない。つまらねえ報告だな」
「……なにか騒ぎでも起きたほうがよかったのですか?」苦笑しながら答える。
芹沢さんが酒に酔って騒ぎを起こさないために送迎まで含めて付き添いをしているのではないのか。
毎度毎度、冷や冷やしながら芹沢さんを待つこちらの身にもなってほしい。
つい不満顔をしてしまったのだろう、土方はとりなすように
「なあ、平助」
京に来てから急に気取ったように“藤堂君”などと呼び始めたのに久しぶりに名前で呼ばれる。
「そんな不服そうな面(つら)すんじゃねえよ。面倒な仕事を文句も言わず努めてくれているお前には
感謝してるぜ」
そう言って俺の肩を軽くたたいて
「そうだな、次は総司にもやらせるからよ……」
土方が部屋に戻ってしまうと二人のやり取りを見ていた井上が平助に明るく声をかける。
「平助、たらいに水をくんでおいたよ」
たらいで手ぬぐいをそっと洗いながら土方との間に溝ができた気がして俺はまだ京に上る前、江戸にいたころのことを思い返していた。