スパダリ医師の甘々な溺愛事情 〜新妻は蜜月に溶かされる〜
「私、バレリーナに戻ることは諦めます」

「……っ」

 啓一郎さんが息を呑むのが伝わってくる。それでも私は決意を鈍らせることなく続けた。

「……私はバレエの講師────先生になりたい」

「先生に? 教える側になりたいってこと?」

 不思議そうに目を瞬かせる啓一郎さんにこくりと頷いた。
 この言葉は負の感情から出たものではなかった。もちろんバレリーナを諦めるということも。

「啓一郎さんに好きだって伝えて家を出ていったあと、ステファニアさんのおうちにお世話になったじゃないですか。そのとき自宅の離れにあるバレエスクールの見学をさせてもらったんです」

 私はその時の光景を思い出しながら自分の気持ちを言葉にする。

「そこではバレエの練習を楽しんで、目をキラキラ輝かせて取り組んでいる子どもたちが沢山いました。それを見て思ったんです。私は怪我をして現役を一度諦めてしまったけど、今度はプロを目指す子どもたちのお手伝いがしたいなって。あのキラキラした瞳を失わせたくないなって」

 啓一郎さんは一言も発することなく、私の言葉を一文字も逃さないように聞き入ってくれた。

「それだけじゃありません。長谷川くんの妹の沙彩ちゃんのこと覚えてます?」

「沙彩ちゃん……うん、覚えてるよ」

「あの子が私に言ってくれたんです。『いつか紗雪お姉さんみたいなバレリーナになりたい。バレエを教えてほしい』って。自分は舞台に立たなくとも、未来ある子たちのお手伝いをして支えていく。そういう在り方もいいんじゃないかって思って……」

 私が全てを話し終わると、啓一郎さんとの間に沈黙が落ちる。全力疾走したときのように心臓が高まっているのが耳にも伝わってきた。
 少し間を置いてから啓一郎さんが口を開いた。

「紗雪は自分の夢をみつけたんだね」

 啓一郎さんは言葉の中に寂寥と悲哀を含ませていた。驚いた私は思わず尋ねる。

「……どうしたんですか?」

「嬉しい気持ちはもちろんある。紗雪が自分の未来を自分で決めて、その道を歩いて行くんだって。すごくいいことと。そう……分かってるはずなのに」

 啓一郎さんは絡めあっていた指をゆっくりと離し、私の体を強引に引き寄せて力強く抱きしめた。強いくらいの抱擁に思わず驚嘆を覚えた。
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