恋文
銀座は人が多かった。
雑踏を掻き分けるようにして京一郎の後ろを歩く。

「迷子になりますよ。隣を歩いてください」
「はい、」

 先ほどから何を話しかけられても上の空だった。そんな絢子の様子を見ながら京一郎は歩幅を小さくして歩く。

「ここの店はいいものを揃えているんです。好きな着物を選んでください」
「…」

 ここまで来ておいていらないです、とは言えず店に入る。
そこには見たこともないような上質な着物が並んでいた。感動しながら店内を見て回り、桜色の着物の前で止まった。
高価な生地の着物であることは一目でわかるが、華やかな色柄だけではなく上品さがあるそれに目を奪われた。

「それにしよう」
「先生、」
「今は先生じゃないよ」
「あ…京一郎様」

名前で呼ぶと京一郎は言葉には出さなかったがとても嬉しそうだった。

「絶対に絢子に良く似合うはずだ」

 自分がこのような着物を着こなせるとは到底思えなかったが、不思議なことに京一郎からそう言われるとその通りに思ってしまう。

 その着物を購入して二人は帰路についた。

 まるでデートのようだと思った。その日も夢を見ている気分だった。夕食を終え、いつものように自分の部屋で勉強をしているとドアをノックする音が聞こえた。
女中の誰かだろうかと腰を上げる。ドアを開けて絢子は吃驚する。

「…先生?どうして、」
「勉強の様子を見に来たんだ」

 そう言われては通すしかない。普段ならば京一郎の部屋で勉強を教わるからか普段以上に心拍数が上昇していた。

 京一郎は洋館のような部屋を見渡した後、ソファに腰かける。

「どう?進んでいるかな」
「はい」
「わからない所があればいつでも聞いて」
「わかりました。今日はありがとうございました、素敵な着物まで…一生宝物にします」
「喜んでくれて何よりだ。せっかくだから着てみせてくれないか」

 京一郎の突然の要求にたじたじになりながらも購入してくれた彼に見てほしいという気持ちもあった。

「では、着替えるので一度部屋を」
「そうだったね。じゃあ着替えたら呼んで」

 クローゼットから何よりも輝いて見えるそれを取り出し、お風呂に入ったばかりの綺麗な体でそれを着る。

 値段や質ではなく、この着物は京一郎が買ってくれた。それも絢子のために。
その事実が一番に嬉しい。鏡台の前の絢子は普段とは違い、妖艶な雰囲気を醸し出しているように思えた。それはこの着物のせいだけではない。
京一郎に恋をしているからだろう。


 ドアを開けると、京一郎が目の前にいる。

 京一郎は目を見開き、口を開けた。まるで初めて宝石を見るように、瞳を輝かせている。

「とても、よく似あっている」
「ありがとうございます」
その言葉に嘘はないことは絢子でもわかった。気恥ずかしさで京一郎の顔を見ることが出来ない。

と。

「…先生、」
 強制的に交わる瞳に全身を硬直させた。
京一郎の手が絢子の頬を包み込んでいた。

「すごく綺麗だ」

 返事をすることは出来なかった。まるでキスでもしてしまいそうなほどの距離に、そして雰囲気。
京一郎の絢子へ向ける視線が書生に向けるそれではないことに気が付いた。

「君が欲しいと言ったら―…どうしますか」

 潤んだ目を向ける。
絢子は自分の頬を包むその手を握ることしか出来なかった。

何故ならば、知っていたからだ。

 清華家の長男である京一郎に縁談の話が来ていたからだ。
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