こんなにも愛しているのに〜私はましろ
父は妊娠とともに強くなっていく母に置いてかれまいと
一生懸命になって母をフォローしていた。
そんな夫婦を見て、理恵おばさんは、笑いながら

’雨降って地固まるって諺を、初めて、見て理解した。’

と言っていた。

今回の妊娠は、つわりも酷くなく、母としては平穏な妊娠生活のようだったが、
流産の危機や早期出産の危機で、やはり、通常のお産よりも入院する機会も
多かった。

母の病室へ行くたびに会う、産科の教授とはしっかりと顔見知りとなり

’うちへ(産婦人科)へおいでよ。’

と冗談で声をかけられるようにもなっていた。

母は強くなったとは言え、それでも時々塞ぎ込むこともあり

「ましろと同じ歳の女性が昨日出産されて、、、本当にこの歳で
お産って、、、どうなんだろうって、考えさせられた。」

などと気弱なことを、言い出したりした。

「ほら、また、そんな弱気だったら、お腹の子たちに障るぞ。
もっと、気を楽にして。
俺たちは、いつも歳より若く見られるから、大丈夫だって。」

父が気弱になった母の背をさすりながら、何の慰めにもならないようなことを
真面目に言ったりして、こちらが赤面しそうだった。

「その子たちが、お父さんとお母さんの子のなりたいって、来たんだから
喜んで迎えてあげないとね。」

「そうね、、、そうよね。

笑われるかもしれないけど、お母さん、この子たちは廉が連れてきてくれた
ような気がするの。
だからね、大丈夫。。。」

母は目に、うっすらと涙を浮かべてそう言った。
その顔は優しく、まさに母性に満ち溢れた顔だった。

父の目からは思わず涙が、こぼれ落ちた。

父もずっと引きずっていた廉のことを、ただただ悲しい思い出ではなく
自分にも可愛らしい息子がいて、その子が、自分達家族に大きな喜びを
連れてきてくれたんだと、うれしく思った。

と、
何年か後に私にこの時の涙の訳を、教えてくれた。


それから
母は幾度となく危険な状態を、周りの助けと自己の力で乗り切って
月満ちてとはいかなかったが、お腹にいてほしいギリギリのところまで
頑張って、男の子の双子を無事に出産した。

小さめに生まれてきた子たちだったが、幸いなことに元気で、保育器生活も
短く、帝王切開後の母をすぐに追いかけるようにして、元気に退院して
家に来た。

そこからが
大変な毎日だった。

母方のおばあちゃんは、母の妊娠をずっと後になって、しかも双子と知らされた。
腰も抜けんばかりに驚いたが、おばあちゃんも年齢が年齢なので
赤ちゃんのお世話には無理があったが、娘のためにと
産後1ヶ月、家のことは全て請け負ってくれた。
時々、おじいちゃんもやってきて手伝ってくれた。

さすがに
父は私の時のように、母にワンオペ状態をさせるわけにもいかず、
自分も育児休暇をとって半年間、双子の面倒を母と同じように見た。
こんなにも大変なことで、しかも、家のことから自分の仕事まで
していたのかと、ここでも父は母に対して、一層申し訳なさを募らせていた。

そうやって
1年があっという間に過ぎたが、双子の育児が軽くなるはずもなく
母は情けないと言いながらも、疲弊して、寝込むこともあった。
そうなると
父も狼狽えてしまい、使い物にならず、
私が双子の面倒を見なくてはいけなかった。

私も慣れないことだったが、
頼りになる助っ人がいた。

陸だ。

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