ピアニスト令嬢とホテル王の御曹司の溺愛協奏曲
そうして万全の準備を整えた上で満を持して挑むことにしたのが、「ポール・クライン国際ピアノコンクール」だ。
稀代の天才と呼ばれたアメリカ人ピアニスト、ポール・クラインが創始してニューヨークを舞台に隔年で開かれるこのコンクールは、推薦書と本人の演奏を収めたDVDから選考される事前審査から始まる。
それに合格した受験者が世界各地からニューヨークへと集まり、実際に審査員の目の前で演奏を行う。
その予備選考に通ってようやく、コンクールの本選に進むことができるのだ。
課題曲が与えられ、さらに一次審査、二次審査、という具合にふるいにかけられていく。
最終的に残った十二人が三次審査、つまり最終決戦の舞台へと上がり、優勝者が決定することになる。
数あるコンクールの中でもこれを選んだのは、個人的に思い入れが深かったからだ。
――他でもない、母が優勝したコンクールであり、私がピアニストを志すきっかけになった場所。
そこで優勝して世界に羽ばたくことが私のピアニストとしてのキャリアに不可欠だと幼い頃から勝手に思い定めていて、大きくなったら何が何でも出場してやると燃えていた。
だが、流石にこのレベルになるとなかなか思い通りにはいかないもので、一度目の挑戦では事前審査にも通らなかった。
それでも改善すべき点は把握できたので諦めずにチャレンジし、二度目となる今回、ついに順調に選考に残るに至ったのである。
稀代の天才と呼ばれたアメリカ人ピアニスト、ポール・クラインが創始してニューヨークを舞台に隔年で開かれるこのコンクールは、推薦書と本人の演奏を収めたDVDから選考される事前審査から始まる。
それに合格した受験者が世界各地からニューヨークへと集まり、実際に審査員の目の前で演奏を行う。
その予備選考に通ってようやく、コンクールの本選に進むことができるのだ。
課題曲が与えられ、さらに一次審査、二次審査、という具合にふるいにかけられていく。
最終的に残った十二人が三次審査、つまり最終決戦の舞台へと上がり、優勝者が決定することになる。
数あるコンクールの中でもこれを選んだのは、個人的に思い入れが深かったからだ。
――他でもない、母が優勝したコンクールであり、私がピアニストを志すきっかけになった場所。
そこで優勝して世界に羽ばたくことが私のピアニストとしてのキャリアに不可欠だと幼い頃から勝手に思い定めていて、大きくなったら何が何でも出場してやると燃えていた。
だが、流石にこのレベルになるとなかなか思い通りにはいかないもので、一度目の挑戦では事前審査にも通らなかった。
それでも改善すべき点は把握できたので諦めずにチャレンジし、二度目となる今回、ついに順調に選考に残るに至ったのである。