ピアニスト令嬢とホテル王の御曹司の溺愛協奏曲
たいていのピアノコンクールと同様に、ポール・クライン国際ピアノコンクールには出場できる年齢に制限がある。
二十五歳――そう、今回のチャンスがこのコンクールを制する最初にして最後の機会となるのだ。
ともすればプレッシャーとなりそうなものであるが、私の場合は変に気負うようなことはなかった。
自分の積み重ねてきた時間に自信を持っていたし、母が優勝したのも二十五歳だったので、むしろ母娘二代が同じ年齢で優勝出来るなんて素晴らしい巡り合わせじゃあないかと喜んだくらいだ。
私は今までで一番と思えるだけの猛練習を積んでニューヨークへ飛び、トップの成績で本選へと駒を進めた。
そして一次審査と二次審査を突破し、無事に三次審査の舞台へ上がることを許された。
ところが、さあいよいよ優勝という宿願が成就されるまであと一歩というところで、私を悪夢が襲う。
三次審査を三日後に控えたある日――私の手が、演奏中に突然思うように動かなくなってしまったのだ。
二十五歳――そう、今回のチャンスがこのコンクールを制する最初にして最後の機会となるのだ。
ともすればプレッシャーとなりそうなものであるが、私の場合は変に気負うようなことはなかった。
自分の積み重ねてきた時間に自信を持っていたし、母が優勝したのも二十五歳だったので、むしろ母娘二代が同じ年齢で優勝出来るなんて素晴らしい巡り合わせじゃあないかと喜んだくらいだ。
私は今までで一番と思えるだけの猛練習を積んでニューヨークへ飛び、トップの成績で本選へと駒を進めた。
そして一次審査と二次審査を突破し、無事に三次審査の舞台へ上がることを許された。
ところが、さあいよいよ優勝という宿願が成就されるまであと一歩というところで、私を悪夢が襲う。
三次審査を三日後に控えたある日――私の手が、演奏中に突然思うように動かなくなってしまったのだ。