冷徹ホテル王との政略結婚は溺愛のはじまりでした
「ありがとう。すぐに上がるね」
返事をしたそのとき、脱衣所へ行こうとした私を見つめていた椿さんが、こちらへ手を伸ばした。
雨で額に張り付いた前髪を指で払われて、頬に手を添えられる。
驚いて彼を見上げるが、向こうは至って冷静で、クールな表情のままでいた。
「やっぱり、いつもとメイクが違うな」
ずっと視線を感じていたけれど、そんなことを考えていたの?
「リップじゃないかな。仕事中は濃い色はつけないけど、レストランに行く前に塗り直したから」
おずおずと返答する私に、わずかに眉を寄せられる。
「お洒落をして他の男に会いに行ったと思って、少し妬いた」
予想外のセリフは、表情ひとつ変えずに放たれた。
嫉妬した? 椿さんが?
自分の気持ちをストレートに伝えるのも珍しいのに、本気で好きでもない私に対して、独占欲を滲ませているのが信じられない。
「でも、藍は俺に会うつもりだったんだもんな」
ふわりと彼が微笑んだ。
椿さんは、自分がどんな表情をしているかわかっているのだろうか。