冷徹ホテル王との政略結婚は溺愛のはじまりでした


「ありがとう。すぐに上がるね」


 返事をしたそのとき、脱衣所へ行こうとした私を見つめていた椿さんが、こちらへ手を伸ばした。

 雨で額に張り付いた前髪を指で払われて、頬に手を添えられる。

 驚いて彼を見上げるが、向こうは至って冷静で、クールな表情のままでいた。


「やっぱり、いつもとメイクが違うな」


 ずっと視線を感じていたけれど、そんなことを考えていたの?


「リップじゃないかな。仕事中は濃い色はつけないけど、レストランに行く前に塗り直したから」


 おずおずと返答する私に、わずかに眉を寄せられる。


「お洒落をして他の男に会いに行ったと思って、少し妬いた」


 予想外のセリフは、表情ひとつ変えずに放たれた。

 嫉妬した? 椿さんが?

 自分の気持ちをストレートに伝えるのも珍しいのに、本気で好きでもない私に対して、独占欲を滲ませているのが信じられない。


「でも、藍は俺に会うつもりだったんだもんな」


 ふわりと彼が微笑んだ。

 椿さんは、自分がどんな表情をしているかわかっているのだろうか。

< 119 / 202 >

この作品をシェア

pagetop