冷徹ホテル王との政略結婚は溺愛のはじまりでした
満足げで嬉しそうな気持ちが、無意識に漏れてしまったように見える。こんなに穏やかで優しい顔は初めてだ。
「藍が無事で良かった」
それだけを言い残して廊下を歩いていく背中から、目が逸らせない。
軽い気持ちで言ったのかもしれないけれど、それは今までの仮面夫婦の関係での発言とは確実に違っていた。
シャワーを終えて声をかけにいくと、自室のベッドに腰掛けている姿が見える。
黒いトレーナーに着替えて、髪はタオルで拭いたようだ。いつものバッチリ決めたお仕事スタイルとは違う無防備な彼に、やや緊張する。
椿さんは、私に気付くとすぐに立ち上がるが、腕組みをしたまま、片手を顎に当ててこちらを見下ろす。
「今日も、あの男に口説かれたのか」
あまりにもさらりと尋ねられて、言葉に詰まる。
「軽口みたいなものよ。本気じゃないってすぐわかるような冗談しか言われてないわ」
「この前も、綺麗になったな、とか言われていただろ」
「聞こえていたの? きっと冗談よ。薄っぺらい嘘だって、すぐわかる」
「そうだな。藍は綺麗ではないもんな。どちらかというと、可愛い系だろ」
鋭い本音を突き刺されたと思ったが、系統の話をしているらしい。