冷徹ホテル王との政略結婚は溺愛のはじまりでした
それは、私が可愛く見えているって意味? なんて聞かなかった。
アメリカ育ちのホテル王は「ああ。可愛い」と恥ずかしげもなく言う姿が簡単に想像できるからだ。
深い意味はないのに勘違いしそうになる。
すれ違いざまに、一枚の紙を渡された。それは彼の名刺で、裏に手書きで私用のメールアドレスが書いてある。
シャワーを浴びている間に、わざわざ用意してくれたんだ。
「次からは、直接誘うから。もうニセモノに引っかかるなよ」
部屋を出ていく彼は振り返らない。それでも、“次”があることが嬉しかった。
易々と罠にかかり、楽しみにしていた気持ちが罪悪感と不甲斐なさに変わっていたけれど、沈んだ心を言葉ひとつで軽くしてくれる。
椿さんは不思議な人だ。何を考えているのかわからないし愛は無価値だというのに、情は人一倍篤くて、優しく温かい。
私たちは夫婦以前に、恋人でもないのよね。
それなのに、宇一さんとの一件で、冷めた一面のある彼の感情が揺れたのが嬉しいと感じるのは、おかしいのだろうか。
二度と恋はしないと決めたのに、凍りついた甘い感情が溶け始める。
まだ、芽生えたばかりの特別な想いに気づかないフリをして、名刺をそっと胸に抱いた。