冷徹ホテル王との政略結婚は溺愛のはじまりでした
彼のマンションで鍵を捨てて、半ば逃げ帰ったあの夜、涙が枯れるほど泣いてから、感情も麻痺してしまった。
「……何を食べても味がしないわ」
ひとくちかじったのは、アンジュで私が担当を任されていたパウンドケーキだ。
家にストックを買うほど大好きなスイーツのはずなのに、美味しくない。
こんなに心も体もボロボロになったのは初めて。
仕事が生きがいだったのに、味が上手く分からず、お菓子を作る気力も起きないのなら、新しい職場が見つかっても、もう続けられないかもしれない。
私の将来は真っ暗だ。
ため息は白くなって空へ溶けていく。このまま、傾きつつある実家の製薬株式会社で働くことになるのだろうか。
五つ下の妹である蘭はまだ高校生だし、両親は私が会社の跡継ぎになるのを願っていた。
なによりもスイーツを作るのが好きだったから、自分の店を持ってお客様に笑顔を届ける夢を叶えるために頑張ってきたつもりだったけれど、心が折れかけている。
就職と同時にひとり暮らしを始め、長らく実家に顔を出していない。
せめて、アンジュを辞めて会社を継ぐと宣言する前に、今のモヤモヤして悲しい気持ちをどうにかしたいな。