私をみつけて離さないで
「横浜じゃ有名なほうだと思う、新山下の『Azur(アズール)』ってお店、経営してる、相原さんって人」
「ああ! 店の名前は知ってる! デカいレストランだ! へえ、そんな人と似てるのか、かっこいいんだ?」
「外見の話じゃないよ、中身の話」
「やっぱ、けなしてるじゃないか」

言ってふたりで笑い出す、ああ、なんかこんな真さん、初めてみたかも、大きな口で目を細めて笑うなんて、ちょっと新鮮。

それからも頼まなくてもお酒とおつまみは出てきた、食事をしたいと言ったらメニューを見せてくれる。

「おすすめでいいよ」
「全部オススメでーす」

そんなことを言いながらもマグロの漬け丼はどうかといってくれたので、私はそれをお願いした。

「僕はオムライス」
「相変わらずお子様舌だな」
「ほっといてよ」

そう言いながらグラスで日本酒を呑んでいるんだから、お子様ではないだろう。オムライスが出てきたときにもう一杯頼んだ、オムライスと日本酒は合わないよーな……。

「大丈夫? 飲み過ぎじゃない?」

割ったりしない分強いお酒のはずだ、そして今日はやはり気分が高揚しているのだろうか、ペースが速くてもう4杯目だし、さすがに心配だ。

「あー、平気、平気。こいつザルだから」

金子さんがいう、ザルって。

「どうも代謝が早いみたいだね、そうは酔わない」

受け取ったグラスを額に当てて微笑む姿がまた色っぽくて……代謝が早いとはいえ、目が僅かにとろんとして見えたのは、気のせいだろうか。

「運転しない時は、これくらいの酒は1本空けて帰るよ」

金子さんが真さんに提供した720ミリリットルと小さめのボトルを叩きながらいった、そうか、強いのか。

「酔いもしないのに飲むのは無駄使いだと思うんだけどね」
「気にするな、どんどん飲め」
「お酒は原価率が低いからって」

やはり真さんも経営者だ、そういうのは気にするんだな。
酔っているのか、気の置けない友人の店だからか、珍しく真さんはよく笑っているように思う。もちろん私といても笑うけど、腹を抱えて笑うようなことはない。お喋りも盛んだ、それにつられてお酒も進む、本当に1本空けてしまった。まるまる一本分を飲んだわけではないけれど、本当に強いな。

「別の開ける?」

金子さんが未開封のボトルを持ち上げた。

「ううん、さすがにもう。そろそろ帰ろっか」

最後は私への言葉だ、私は頷く、だって、市街に住む私はいいけど、真さんはあの菩提寺が見守る町まで帰らないといけないんだ。今日はタクシーでも使うのかな。

真さんは金額も聞かずにカードを出して清算してもらう。会計が終わって店を出ると夏の暑さがむっと押し寄せた、まだ遠くでお囃子が聞こえる、街の熱気も冷めないらしい。

「あ、もう」

真さんが声を上げた、レシートを手にしている。

「あ、ごめん、多分半額くらいしか払ってない、いつもおまけはしてくれるけど、まったく……」

ブツブツ言いながらもそれをお財布にしまった。大分後になって教えてくれた、結婚祝い代わりにおまけしたんだって。まだこの頃はそんな話も出ていなかったのに……。

「さて──もう帰る?」

ん? 珍しい真さんの言葉と判る、いつもは送るよ、とかなのに。

「まだいい?」

寮に門限はない、だから何時に帰っても大丈夫だ。寮といっても名ばかりで、大学が運営している学生用のアパートといえる、管理人さんはいるけど寮母のような人はいないから出入りを逐一チェックされてはない。女性はもちろん男性を連れ込んで風紀を乱すようなことをすれば怒られるけど。

「いいですよ、行きたいところが?」

いって真さんを見上げた、合った瞳は暗がりでも緑に輝いて見えて、それは熱く蕩けていた。

それって──どくん、と心臓は跳ね上がる。

「──やっぱ少し酔ったみたいだ。今日は香織さんを独占したい」

独占、それはどういう意味?ときちんと聞きたかった。
でも真さんの腕に抱き締められ、頬が当たる場所で早鐘を打つのが感じられて、それだけで答えが判ってしまった。超能力なんかなくても判るんだね。

私もまだ、帰りたくない。
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