私をみつけて離さないで
☆
初めて彼と出会ったのは、4月下旬に行われたサークルのコンパに出席した時だ。
テニスは未経験、それでもそのサークルに入ってしまったのは、たぶん、ちょっと、浮かれてたから。
「ごめん、遅くなった」
そう言って居酒屋の個室に現れた彼は、リアルに王子様だった。
一年の女子はみんな揃って息を呑んで彼に見入ったのが判る、私も例外ではなかった。
痩身の長身、緩やかなウェーブの猫っ毛、甘い顔立ち……神様が一生懸命かっこいい男性を作ろうと頑張った結果がここにいるような気がする。
きちんとスーツを着こなした姿は、社会人にも見えるけれど。
「本当、遅いわあ!」
四年の女性――平田先輩が声を上げた。
「もう終わりやん!」
「ごめん、ごめん。予想外に長引いちゃったんだ」
「しゃあないなぁ、来ただけ褒めてやらんとなー。ニ次会は行くやろぉ?」
「うん」
彼は人懐っこい笑みで答える。
「お詫びに付きあうよ」
二年生以上の女子が喜んだ、どうやら在校生らしい、そしていつもはニ次会には参加しない人なんだろうと想像できた。
平田先輩が、咳ばらいをひとつして、彼の紹介を始める。
「彼は、経済学部の岩崎真くん! あの岩崎財閥の跡取りや! おじいさまの仕事の手伝いで来いひんことも多いけど、みんなよろしゅうね!」
意気揚々と宣言した、一年生の何人かが「ええ!」とか「おお」とか驚いている。どうやら地元では有名なのね。
「財閥じゃないよ」
彼──岩崎先輩は困ったように言う。
「似たようなものちゃうの」
平田先輩は媚びを売るように答えた。
私は「おお」と言っていた一年の中本さんに質問する。
「岩崎財閥って?」
「ええ!? 知らへんの!? さすがに東京まではその名は届かないん!?」
「うん……知らない」
そんなに有名なのか。
「京都の駅前にも所有のビルやホテルがあんで! 他にも市内にいくつもビルや店を持っとって、東山にある大規模施設も運営してはるの!」
鼻息も荒く教えてくれた。
なるほど、お金持ちなのか。そのうえこの容姿……そりゃ女子が放っておかないわ。
性格も温和そう。自分の容姿など気にしていなさそうな可愛い笑顔で話している、ううん、概ね話しかけられて相槌を打っているだけだ。
知らぬ間に見つめていたらしい、不意にばっちり目が合った、でも私は更に見入ってしまう、だって、その瞳がとても綺麗な緑色だったから──まるで宝石のよう。
その瞳が笑顔の形になったので、初めて何をしていたのか気づいて慌てて目をそらした。
しまった──絶対失礼な奴だと思われた、にこりともしないでガン見だったもの。
でも笑顔で返してくれるなんて、やっぱ人がいいのだろう。
照れ隠しにオレンジジュースを飲んで、ポテトフライをつまんで、懲りずにもう一度、盗み見るように彼を見ると。
すぐに目が合った、彼は嫌な顔もしないで優しく微笑んでくれる。
それまでほかの人に見せていた笑みとは違う、と思ったのは思い上がりかしら。
☆
二軒目はカラオケに行った。
既に酔っぱらいの集団だ、盛り上がる曲を選び、うまく歌おうなんて思わずに合唱している。
そんな中、彼はずっとウーロン茶を飲んでいた。
「なんや、飲まんかい!」
平田先輩が迫る。
「バイクなの。捕まったらシャレならないよ」
岩崎先輩はのんびりと断る、スーツだしヘルメットも持ってないけど……ヘルメットはバイクに置けるか。
「タクシーで帰ったらええやないのぅ」
「もう、あの山奥の不便さを知らないから。明日、またタクシーで学校行くなんて、お金の無駄でしょ」
「知っとんで、運転手付きの車があるやん! 第一いつまで山籠もりしとるの!? 早う都会に住んだらええのに! マンションもあるやろ!」
「あそこにいるからいいの」
彼はやんわり制して、部屋を出た。トイレかな?
暫くして、ドアが開き人が入ってくる気配はした、私は先輩が歌うのに手拍子を合わせていて気にもしなかったけれど。
「隣、いい?」
言われて「はい」と言いながら横を見て驚いた、岩崎先輩だ!
「新入生だよね。関東の人?」
開口一番聞かれた。
「あ、はいっ! 東京の八王子ですっ!」
緊張して声が上ずる。
だって。
男性と接する機会は家族しかなかった。子供の頃から自ら声をかけた記憶はなく、言葉を交わしたことも、そばに立った経験も乏しい上、ひたすら勉強一筋の青春とまったく男慣れはしてない──なのにいきなりこのイケメン⁉︎ 心臓に悪……!
「八王子か、いいとこだね」
「田舎ですけどっ……って、岩崎先輩も東京の方ですか?」
喋るのは、いわゆる関西弁ではなかった。
「僕は横浜の出身だよ、横浜線なんてあるから八王子は身近に感じるよ。まあ偉そうに出身と言うほど長く住んでないけど」
「生まれただけ、とかですか?」
「いや、中学からこっちに」
「じゃあ、十分ですよ。出身でいいと思います」
芸能人なんか生まれただけでも言ってるもんね。
「あの……失礼じゃなかったら聞いてもいいですか?」
「いいよ、なんだろう?」
うわあ、低音の心地いい声。優しい声に人柄が出ている。
「瞳の色、緑ですよね。先輩はハーフなんですか?」
岩崎先輩はふっと微笑んだ、吸い込まれる笑みだ。
「ハーフじゃないし、全然外国人の血筋は無いはずなんだけど」
岩崎先輩は私から目を反らして、遠くを見るような仕草をした、そうすると余計に緑色がはっきりと判った。とても濃いエメラルドだ。
「父が青い目をしていたから、その遺伝だとは思うよ。兄弟もいろんな色でね、瞳の色や髪の色は多国籍で面白いよ」
「そうなんですね」
思わぬところで彼の情報を仕入れた。
「ご兄弟がいるんですか」
「弟が二人と、妹が一人ね」
「わあ、四人兄弟ですか、多いですね」
でも聞いてばっかじゃ悪いな。
「そっか、岩崎先輩はご長男なんですね。私は末っ子です、姉と兄がいるんです」
それはそれは優秀な姉兄が。
「末っ子か」
先輩は嬉しそうに笑った。
「末っ子は可愛いよね、うちも一番下が妹だから、ついみんなで甘やかしちゃって」
「うふふ、お兄さんばっかじゃ、判る気がします」
しかもこんなイケメンのお兄ちゃんなんて、ああ、うちじゃ考えられない!
「私はかわいがられた記憶はないです、会話すら多くなかったくらいで」
子供の頃から、鈍臭い私はみそっかすだった。
「ああ、姉とは子供の頃は時々口喧嘩しましたけど」
お菓子を取ったとかならまだいい、うるさいから静かにしろとかも言われたのは、傷ついた。
「同性だとそうかもね。僕もすぐ下の弟とはよく喧嘩するよ。喧嘩と言ってもやられっぱなしだけど」
「先輩、優しそうですもん、そんな感じがします」
と、そこへ、
「岩崎ぃ!」
四年の男子が雪崩れ込んできた!
「なんや、早速口説いてるんか! 珍しいな、身持ちの硬いお前が」
「久々に関東弁を聞きたかったんだよ」
ふーん、そうか……っていうか、見た目で出身地なんか判る?
酔っ払いに絡まれたからか、先輩は男子を引っ張りながら立ち上がった。
「あ、お名前、聞いてもいい?」
長身をかがめて聞かれた、上から降る優しい声色に、私はどきっとする。
「月岡香織です……」
「月が香るか。なかなか風流な名前だね」
彼は微笑んで言った、風流? そんなこと初めて言われた。
「香織さん」
去り際に囁く様に言われた、名前で呼び……! 急激に顔に熱を感じる!
「は、はい」
喉の奥で返事をすると、彼はもっと深く微笑んだ。
「またね」
「はい」
思わず、そう返事をしてしまったけれど、また? またって?
男子学生と離れていく先輩に聞くこともできるわけもなく。
その後は私は岩崎先輩の姿を、もう視界に収めることができなかった。
初めて彼と出会ったのは、4月下旬に行われたサークルのコンパに出席した時だ。
テニスは未経験、それでもそのサークルに入ってしまったのは、たぶん、ちょっと、浮かれてたから。
「ごめん、遅くなった」
そう言って居酒屋の個室に現れた彼は、リアルに王子様だった。
一年の女子はみんな揃って息を呑んで彼に見入ったのが判る、私も例外ではなかった。
痩身の長身、緩やかなウェーブの猫っ毛、甘い顔立ち……神様が一生懸命かっこいい男性を作ろうと頑張った結果がここにいるような気がする。
きちんとスーツを着こなした姿は、社会人にも見えるけれど。
「本当、遅いわあ!」
四年の女性――平田先輩が声を上げた。
「もう終わりやん!」
「ごめん、ごめん。予想外に長引いちゃったんだ」
「しゃあないなぁ、来ただけ褒めてやらんとなー。ニ次会は行くやろぉ?」
「うん」
彼は人懐っこい笑みで答える。
「お詫びに付きあうよ」
二年生以上の女子が喜んだ、どうやら在校生らしい、そしていつもはニ次会には参加しない人なんだろうと想像できた。
平田先輩が、咳ばらいをひとつして、彼の紹介を始める。
「彼は、経済学部の岩崎真くん! あの岩崎財閥の跡取りや! おじいさまの仕事の手伝いで来いひんことも多いけど、みんなよろしゅうね!」
意気揚々と宣言した、一年生の何人かが「ええ!」とか「おお」とか驚いている。どうやら地元では有名なのね。
「財閥じゃないよ」
彼──岩崎先輩は困ったように言う。
「似たようなものちゃうの」
平田先輩は媚びを売るように答えた。
私は「おお」と言っていた一年の中本さんに質問する。
「岩崎財閥って?」
「ええ!? 知らへんの!? さすがに東京まではその名は届かないん!?」
「うん……知らない」
そんなに有名なのか。
「京都の駅前にも所有のビルやホテルがあんで! 他にも市内にいくつもビルや店を持っとって、東山にある大規模施設も運営してはるの!」
鼻息も荒く教えてくれた。
なるほど、お金持ちなのか。そのうえこの容姿……そりゃ女子が放っておかないわ。
性格も温和そう。自分の容姿など気にしていなさそうな可愛い笑顔で話している、ううん、概ね話しかけられて相槌を打っているだけだ。
知らぬ間に見つめていたらしい、不意にばっちり目が合った、でも私は更に見入ってしまう、だって、その瞳がとても綺麗な緑色だったから──まるで宝石のよう。
その瞳が笑顔の形になったので、初めて何をしていたのか気づいて慌てて目をそらした。
しまった──絶対失礼な奴だと思われた、にこりともしないでガン見だったもの。
でも笑顔で返してくれるなんて、やっぱ人がいいのだろう。
照れ隠しにオレンジジュースを飲んで、ポテトフライをつまんで、懲りずにもう一度、盗み見るように彼を見ると。
すぐに目が合った、彼は嫌な顔もしないで優しく微笑んでくれる。
それまでほかの人に見せていた笑みとは違う、と思ったのは思い上がりかしら。
☆
二軒目はカラオケに行った。
既に酔っぱらいの集団だ、盛り上がる曲を選び、うまく歌おうなんて思わずに合唱している。
そんな中、彼はずっとウーロン茶を飲んでいた。
「なんや、飲まんかい!」
平田先輩が迫る。
「バイクなの。捕まったらシャレならないよ」
岩崎先輩はのんびりと断る、スーツだしヘルメットも持ってないけど……ヘルメットはバイクに置けるか。
「タクシーで帰ったらええやないのぅ」
「もう、あの山奥の不便さを知らないから。明日、またタクシーで学校行くなんて、お金の無駄でしょ」
「知っとんで、運転手付きの車があるやん! 第一いつまで山籠もりしとるの!? 早う都会に住んだらええのに! マンションもあるやろ!」
「あそこにいるからいいの」
彼はやんわり制して、部屋を出た。トイレかな?
暫くして、ドアが開き人が入ってくる気配はした、私は先輩が歌うのに手拍子を合わせていて気にもしなかったけれど。
「隣、いい?」
言われて「はい」と言いながら横を見て驚いた、岩崎先輩だ!
「新入生だよね。関東の人?」
開口一番聞かれた。
「あ、はいっ! 東京の八王子ですっ!」
緊張して声が上ずる。
だって。
男性と接する機会は家族しかなかった。子供の頃から自ら声をかけた記憶はなく、言葉を交わしたことも、そばに立った経験も乏しい上、ひたすら勉強一筋の青春とまったく男慣れはしてない──なのにいきなりこのイケメン⁉︎ 心臓に悪……!
「八王子か、いいとこだね」
「田舎ですけどっ……って、岩崎先輩も東京の方ですか?」
喋るのは、いわゆる関西弁ではなかった。
「僕は横浜の出身だよ、横浜線なんてあるから八王子は身近に感じるよ。まあ偉そうに出身と言うほど長く住んでないけど」
「生まれただけ、とかですか?」
「いや、中学からこっちに」
「じゃあ、十分ですよ。出身でいいと思います」
芸能人なんか生まれただけでも言ってるもんね。
「あの……失礼じゃなかったら聞いてもいいですか?」
「いいよ、なんだろう?」
うわあ、低音の心地いい声。優しい声に人柄が出ている。
「瞳の色、緑ですよね。先輩はハーフなんですか?」
岩崎先輩はふっと微笑んだ、吸い込まれる笑みだ。
「ハーフじゃないし、全然外国人の血筋は無いはずなんだけど」
岩崎先輩は私から目を反らして、遠くを見るような仕草をした、そうすると余計に緑色がはっきりと判った。とても濃いエメラルドだ。
「父が青い目をしていたから、その遺伝だとは思うよ。兄弟もいろんな色でね、瞳の色や髪の色は多国籍で面白いよ」
「そうなんですね」
思わぬところで彼の情報を仕入れた。
「ご兄弟がいるんですか」
「弟が二人と、妹が一人ね」
「わあ、四人兄弟ですか、多いですね」
でも聞いてばっかじゃ悪いな。
「そっか、岩崎先輩はご長男なんですね。私は末っ子です、姉と兄がいるんです」
それはそれは優秀な姉兄が。
「末っ子か」
先輩は嬉しそうに笑った。
「末っ子は可愛いよね、うちも一番下が妹だから、ついみんなで甘やかしちゃって」
「うふふ、お兄さんばっかじゃ、判る気がします」
しかもこんなイケメンのお兄ちゃんなんて、ああ、うちじゃ考えられない!
「私はかわいがられた記憶はないです、会話すら多くなかったくらいで」
子供の頃から、鈍臭い私はみそっかすだった。
「ああ、姉とは子供の頃は時々口喧嘩しましたけど」
お菓子を取ったとかならまだいい、うるさいから静かにしろとかも言われたのは、傷ついた。
「同性だとそうかもね。僕もすぐ下の弟とはよく喧嘩するよ。喧嘩と言ってもやられっぱなしだけど」
「先輩、優しそうですもん、そんな感じがします」
と、そこへ、
「岩崎ぃ!」
四年の男子が雪崩れ込んできた!
「なんや、早速口説いてるんか! 珍しいな、身持ちの硬いお前が」
「久々に関東弁を聞きたかったんだよ」
ふーん、そうか……っていうか、見た目で出身地なんか判る?
酔っ払いに絡まれたからか、先輩は男子を引っ張りながら立ち上がった。
「あ、お名前、聞いてもいい?」
長身をかがめて聞かれた、上から降る優しい声色に、私はどきっとする。
「月岡香織です……」
「月が香るか。なかなか風流な名前だね」
彼は微笑んで言った、風流? そんなこと初めて言われた。
「香織さん」
去り際に囁く様に言われた、名前で呼び……! 急激に顔に熱を感じる!
「は、はい」
喉の奥で返事をすると、彼はもっと深く微笑んだ。
「またね」
「はい」
思わず、そう返事をしてしまったけれど、また? またって?
男子学生と離れていく先輩に聞くこともできるわけもなく。
その後は私は岩崎先輩の姿を、もう視界に収めることができなかった。