私をみつけて離さないで
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5月、行楽シーズンの休日の京都市内はどこもかしこも込んでいる。
そこを先輩のバイクがするすると抜けていくのは、ちょっと優越感だ。有名な神社仏閣は車上から見た。そして先輩がバイクを停めたのは、市街にあるのにひっそりとしたお寺だった、観光地化されていないんだろう。そんなガイドブックに名前しか載っていない場所でも、丁寧に手入れされた庭や社は見ごたえがあった。
そして何処へ行っても出迎えた人が歓迎してくれる、先輩の有名具合が判った。「岩崎の坊ちゃま」と呼ばれることもあって、ああやはり財閥の御曹司なんだなと思う。
行く先行く先で歓待されるものだから予約でもしているのかと聞いたけれど、そういう訳ではないらしい。それはお昼ご飯に入ったレストランでもそうだった。
更には夕飯も──夕飯というには少し早いと思える時間に行ったお店で。
和風の古くて立派なお屋敷、看板はないけれど暖簾がかかっているから食事処と判るようなお店だ。どこからどう見ても高級料亭……私のような小娘が来るような店ではない。長いアプローチには小川まで流れている──その奥にある引き戸を開け先輩は「ごめんください」と声をかけた。
「まあまあ、真はん!」
飛び出してきた女性店員が最敬礼の会釈で挨拶をする。
「いらはるなら、電話の1本くらいおくれやす!」
「ごめんなさい、気楽な観光だったから時間に拘束されたくなくて」
岩崎先輩が明るく答える、すると女性の目が私に注がれ、にこりと微笑まれた。いやいや、そんな目で見られても……私は小さく頭を下げてから、そっと先輩の背に隠れる。
「バイクで来たんです、駐車場の脇に停めちゃったけど大丈夫ですか?」
「かましまへん、邪魔や言われたらお知らせします」
「お願いします、席、空いてますか」
「空いてへんでも空けます! いえいえ、空いとりますえ」
そういって中へ案内された、とても長い廊下を歩く、綺麗に整理された途中にある坪庭が素敵だった。
どうやら全室個室の京料理の店……いやいや、こんなところの食事っておいくら万円なのよ?
奥庭が臨める8畳間の床の間まである部屋に案内され、座った途端私は全身から力が抜けた。
「──すみません、少し横になってもいいですか?」
畳にふかふかの座布団、そんなものにその衝動を抑えきれない。先輩は笑う。
「いいよ、バイクは疲れるよね」
頷きながらのお言葉に甘えて私は溶けるように横にならせてもらった、はあ……天国~。
「ここは出てくるものは決まってるから、飲みもの選ぶくらいだな。お酒は駄目だね」
先輩は運転あるし、私もまだ18歳、飲める年齢じゃない。
「ソフトドリンクも各種あるけど、なに飲む?」
「あーええっと、お茶……緑茶以外でありますか?」
「ほうじ茶があるよ、茶葉、選べるけど」
ほうじ茶の茶葉が選べる~!?
「あー……判らないので、どれでもいいです」
「じゃあ、田原さんに聞こう」
店員さんの名前かな、店員さんを名前で呼ぶほどか……メニューも見ないで言うし……。
「あの、ここって先輩のお宅でやってるお店ですか?」
「ううん、違うよ」
なんだ、また違うのか。
「でもお客さん連れて度々来てるんだ」
そうか、それであの歓待か。
「ごめんね、知ってるお店ばっかりで。これでまったく知らないお店に行って、戸惑ったりしたら恥ずかしいなと思ってさ。かっこつけたくて知ってるお店ばっか行ってる」
「そんな! そんなこと思ってないです!」
かっこつけなくても、じゅうぶんかっこいいです!
「なにより、自分ちの店は、なんか気まずいじゃん」
気まずい? やはり変に関係を誤解とかされたくないのかな。
「自慢みたいだし」
あ、なるほど。
「いっぱい事業展開しているんですね」
そんな話は寝転がりながらでは申し訳ないと、私はのろのろと体を起こす。
実は『岩崎財閥』については調べた。
実際の名称は岩崎ホールディングス、株式は公開はしておらず、主には一族で持っているよう。グループの総長は先輩のおじいさまの真斗さん、先日喫茶店で会った方だ。
主な業務は不動産。アパート、マンションといった不動産の管理・運用から、ホテルやレストランもたくさん経営している。お店はいっぱいあるから名前までチェックしていないけど、和洋からフォーマルからカジュアルから網羅しているといって過言ではない。
資本金、数十億円。年商、三桁億円。先輩はそんなところのお坊ちゃまであり、跡取りになるらしい。本当なら先輩のご両親が跡取りだろうに、なんでだろう? そこまではわからなかった。
「うん、元はそんなことなかったみたいなんだけど。3代前の御当主がやり手だったらしくてね」
3代前……今はおじいさまが当代だから、その2つ前? 曾祖父母の上は……ひいひいおじいちゃん、おばあちゃん、その方か。
「ひいひいおばあちゃんだね、おじいちゃんのおばあちゃんだ。ちょうど時代も時代だったからあれこれ手を出して大成功したみたい。600年以上続く旧家だけど別に出自が確かなわけでもなく、小さな町でちょっと影響力があった程度だったのにその御当主が一代で財を築いて、財閥だなんていわれるまでに」
とちょうどそこへ先ほどの店員さんが来た、体、起こしててよかった。芙蓉が印刷された紙製プレースマットを敷き、おしぼりやお冷を並べてくれる。あ、箸袋に店名が……あとで調べちゃお。そして持ってきたメニューはテーブルに出しかけたけれど、先輩がお茶を頼むとそのまま持って帰ってしまう。
600年続く旧家……! それは知らなかった!
「すごいです。京都では知らない人はいないって聞きました。今日もどこへ行っても皆さん先輩のことを知ってて驚きました」
「面識があるところばっかり行ったしね」
そうはいうけれど、その後、面識がないお店に行っても先輩は有名人だったし、この頃は面識があるお店ばかり選んでいた理由で納得できたのは、慣れない店では過剰にサービスをされてしまうからだ。富豪プラス、ハイスペックなイケメンは罪作りらしい。