この恋は突然に… 〜エリート外交官に見初められて〜
コンコンコンと襖をノックする。
「入れ」
と声がしたので襖を開けると、総一郎は椅子に座って足を組んで新聞を読んでいた。
「父さん!瑠璃が、浅田さんが行方不明なんだ」
「そうかそうか、それはよかったではないか」
総一郎は新聞を読んだままのんびりと答える。
「よかった?」
「あんな財力も権力もない小娘よりも、なんでももってる小娘にしておけ」
「では瑠璃が行方不明なのは父さんの差し金か!」
「だったらなんだ」
総一郎はどうでも良さそうに答えた。
「瑠璃はどこにいる!」
「さぁ?ワシはそこまでは知らん」
「話にならない!」
孝太郎は部屋を後にした。

「孝太郎様?なにやら怒鳴り声が聞こえたのですが…」
高橋はお盆に湯呑みを2つのせたまま、孝太郎に問いかけてきた。
「ああ、悪かったな高橋さん。どうやら瑠璃が行方不明なのは父さんの差し金らしい」
「まあなんと…」
「俺はこれから早乙女家へ向かおうと思っている。万が一でも瑠璃が帰ってきたら連絡してくれ」
「かしこまりました。お気をつけて」

コツン、コツンと再びする足音を聞いて瑠璃は目を覚ました。
あれから一体何分、いや何時間経ったのだろうか?
相変わらずなにもわからない、しようがないままだった。
「またあの2人が来るのかな…それとも孝太郎さんが助けに来てくれたとか…?」
さっき婚約者ではないといったこの状況で、孝太郎が助けに来てくれるのではないかと、期待している自分が嫌になる。
今度は誰だろうと身を構えていると、足跡がピタリと止まりドアが開いた。
「失礼します」
パチと電気がつき、入ってきたのは黒のセーターに紺のジーンズを着た30代ほどの女性だった。
久しぶりの灯りに目が眩しい。
瑠璃は咄嗟に目を瞑る。
女性の手にはブランケットと、銀のトレー。その上にはクロワッサンとコーンスープがのっていた。
「お食事をお持ちしました」
淡々と頭を下げると、食事を瑠璃の足元に置き、腕を縛っていた縄を解いた。
「あの、ありがとうございます…」
自由になったが縄の跡がしっかりと付いた手首を見て瑠璃は言う。
「私はご命令されたことを行っただけですので」
女性は美人だったが表情は常に無く、目線は一切合わず、どこか遠くを見ているようだった。
「い、今って何時頃か分かりますか?」
「その質問にはお答えできません。ご命令されていませんので」
「ならここはどこですか?」
「お答えできません。ご命令されていませんので」
「じゃああとほかに命令されたことって何なんですか?」
瑠璃はムッとしてつい強い口調で聞いてしまった。
「浅田瑠璃を死なせない程度にもてなせとのことでした」
「死なせない程度って…」
「それでは私はこれで」
女性は一礼すると部屋を後にしようとする。
「待ってください!知り合いに連絡をしたいのですが」
「それはご命令されてませんので」
とだけ言い残すと鍵をガチャリと閉めて、部屋を後にした。
残された食事と赤地にカラフルな鞠が施されたブランケットがやけに眩しく感じた。
「重い…」
ブランケットを持ってみるとやけに重たかった。
これならこの寒さも凌げるはずだ。
だがブランケットでは拭いきれない思いが、瑠璃には溜まっていく一方だった。
「そうだ、あの美少女、早乙女姫華だ」
確か姫華のほゎほゎちゃんねる♥️というサイト名で動画投稿活動をしてたはずだ。
瑠璃もちらりとだけ投稿された動画を見た事があった。
動画投稿内容はタイトルからは想像もつかないほどしっかりしており、フランス語、中国語などの語学の講座、着物の着付け、テーブルマナーについてなどだった。
加えて偏差値60超えの難関校、聖マリアンヌ学園の薬学部に通っており、動画投稿だけではなく持ち前のスタイルの良さを活かしたグラビア活動もしていた。
実家は海外進出もしている大手企業で、そこの一人娘。
着物も水着も着こなす才色兼備の大富豪のお嬢様。
それが早乙女姫華だった。
「じゃあ今、私がいる場所は早乙女家の敷地内ってこと?」
自分がいる場所はわかったが、なぜこんなところに幽閉されているのかがわからなかった。
「孝太郎さんの婚約者だと思われてるから…?」
姫華は孝太郎と結婚したがっているのだろうか。
だから邪魔者は消そうと、こうして誘拐をしたのだろうか。
「お似合いだな」
年齢差はあるが誰が見ても美男美女カップル。
「少なくとも私なんかよりもずっと…」

「藤堂孝太郎というものですが、早乙女源十郎殿に大至急お会いしたい」
早乙女家に着いた孝太郎はインターフォンに怒鳴るような口調で言う。
早乙女家も孝太郎の家と同じように高い塀に囲まれた、純和風な建物だった。
いつもはいるはずの門番が今日はいなかったので、インターフォンを押したが相手の返答が来ない。
「聞こえていますか?!早乙女源十郎殿にお会いしたいのですが!」
「大変お待たせいたしました。現在源十郎様はお留守です」
人間味が全く感じられない無機質な声が聞こえてきた。
「では姫華殿でも構わない」
「姫華様もいらっしゃいません。今回はお引き取り下さい」
「2人ともいないはずはない!では浅田瑠璃はどこにいる。会わせていただきたい」
「そのような女性はいらっしゃいません。お引き取り下さい」
「いや、確かにいるはずだ。至急会わせていただきた…」
「こぉ〜たろ〜様ぁ〜?ど〜かなさいましたのぉ〜?」
インターフォンから聞き覚えのある声が聞こえた。
「姫華殿!源十郎殿はいらっしゃいますか?」
「お父様はぁ〜現在入浴中ですわぁ〜。なにかご用ですのぉ〜?」
「そちらに浅田瑠璃、いや、女性が来なかっただろうか?」
「あぁ〜、そういえば来たようなぁ〜?」
姫華は曖昧に答える。
「とりあえず門を開けて頂けないでしょうか?」
「わかりましたぁ〜」
そういうとすんなりと門が開いた。
「これでやっと瑠璃に会える…」
孝太郎は意を決して、早乙女家の敷地を跨いだ。

「こぉ〜たろ〜様ぁ〜こんな時間にお会い出来るなんて嬉しいですわぁ〜」
姫華は満面の笑みを浮かべて孝太郎に近寄る。
「ああ、姫華様。それで女性はどこに?」
「あ〜地下室ですわぁ〜。でもそんな女性なんてどうでもいいではありませんかぁ〜?」
「どうでもよくなんかはないんです!私にとっては大切な女性なんです」
「う〜ん、よくわかりませんけどぉ〜、ご案内しますわぁ〜」
「こちらですわぁ〜」と孝太郎は姫華の跡をついていく。

コツンコツンとまた足跡がする。
今度は1人ではなく2人分する。
またあの2人だろうか。
瑠璃は羽織っていたブランケットを軽く畳み、正座をする。
腕が自由になったので、足の縄も解けるかと思ったがキツく結ばれててできなかった。
今度は一体なんのようだろうか?
自分の生存確認にでも来たのだろうか?
足跡が止まり、再び扉が開く。
「瑠璃!」
「孝太郎さん…」
電気が眩しくてすぐに判断出来なったが、確かに孝太郎だった。
孝太郎は力強く瑠璃を抱きしめる。
「まぁ〜、これはどういうことですのぉ〜?」
姫華は口をあんぐりと開けて立ち尽くしていた。
「瑠璃、遅くなってすまなかった」
「ううん、来てくれただけで嬉しい…」
瑠璃も孝太郎を抱きしめる手を強める。
「こぉ〜たろ〜様ぁ〜、どういう状況ですのぉ〜?そちらの女性はなんの関係もない方じゃないですのぉ〜?」
「関係がないだなんてとんでもない。瑠璃は俺の婚約者です」
「ええぇ〜だってその方は違うと仰ってましたわぁ〜」
「そ、それは…」
「瑠璃、本当か?」
「あの時はまだ決心ができてませんでしたが、私は孝太郎さんの婚約者です」
今ならもう迷いはない。
こうして助けに来てくれたのだから。
好意には好意で返したい。
「そ、そんなぁ〜…」
姫華はよろよろとその場にしゃがみこむ。
「瑠璃、やっとそう言って貰えて嬉しいよ。早くここから出よう」
孝太郎は瑠璃の足を縛っていた縄を解く。
縄は解けたが暫く結ばれてたため、上手く動かない。
立てなそうな瑠璃を見て孝太郎はそっと横抱きをする。
「ありがとう、孝太郎さん」
「それでは姫華様、また」
孝太郎は床に座り込んだ姫華に一礼すると、部屋を後にしようとする。
「で、でもぉ〜、姫華はぁ〜こぉ〜たろ〜様と結構したいんですぅ…誰よりもお慕い申しておりますのにぃ…」
「その気持ちはわかります。ですがすみません俺には瑠璃しかいないので」
「そんなぁ…そんなにお好きなんですねぇ…」
「はい」
「姫華と一緒になったらぁ〜望むものはぁ〜なんでも手に入りますのにぃ〜…」
「姫華様、本当に望むものは自分の力で手に入れた方が楽しいですよ」
「楽しいぃ〜?」
姫華は首を傾げる。
「はい。では」
「姫華もぉ〜、いつかぁ〜こぉ〜たろ〜様が認めてくれるような女性にぃ〜、なってみせますわぁ〜。その頃にぃ〜結婚してくださいなんて言われてもぉ〜絶対にぃ〜しないですからぁ〜」
「はい。その時を楽しみにしてますよ」
孝太郎はにこやかに答えると部屋を後にした。

「どこへ行くつもりだね」
長い階段を登り終わり、1階へ着いたと思ったら源十郎が待ち構えていた。
源十郎は2人を睨みつける。
「瑠璃は返してもらいます」
「そんな小娘よりもうちの姫華の方がずっといいと思うが」
「姫華様には姫華様の、瑠璃には瑠璃の良さがありますので」
孝太郎はキッパリと言う。
「孝太郎さん…」
頬が熱くなる。
瑠璃はうっとりした目で孝太郎を見る。
「ふん、その小娘の処遇なら心配せぬともよいぞ。大体医療事務などとくだらない仕事をするよりは、海外にあるうちの別荘の管理人でも任せた方がよっぽど有意義だろう。そもそも…」
「お父様ぁ〜、もういいんですぅ〜。姫華ぁ〜こぉ〜たろ〜様が羨ましがるほどの女性になるって決めたんですからぁ〜」
姫華が源十郎の元へ駆け寄る。
「姫華…」
源十郎がビックリしたように姫華を見る。
「その時になってもぉ〜、こぉ〜かいしないみたいですしぃ〜」
「はい。俺には瑠璃がいるので」
「姫華がいいというならいいが…」
源十郎はまだ驚きが隠せないようで姫華から目を離さない。
「はぃ〜、お父様ぁ〜姫華はもう結構ですわぁ〜」
姫華は満面の笑みを浮かべ答える。
「そ、そうか…わかった…。孝太郎殿、瑠璃殿気をつけて帰るがいい…。こんなまねをしてすまなかった…」
源十郎は段々と小さな声でボソボソと話し、最後の方は瑠璃たちには微かに聞こえるほどだった。
「そうさせていただきます」
孝太郎も瑠璃も言いたいことは沢山あったがひとまず引き下がることにした。
孝太郎は瑠璃を抱き抱えたまま、頭を下げる。
瑠璃も小さく頭を下げる。

外に出ると辺りは真っ暗だったが、日付が変わってないことに驚いた。
(私が思ってるほど、早乙女家にはいなかったんだ…)
監禁されてる時は永久に時が止まってしまったような感覚でいた。
もしかしたら自分は一生ここからでられないのかもしれない。
そんな不安が常にあった。
「遅くなって本当にごめん」
瑠璃は孝太郎の車へ着くとまた抱きしめられる。
孝太郎が助けに来てくれた時、どれほど心強かったことか。
「大丈夫だよ。来てくれてありがとう」
瑠璃は宥めるように言う。
「無事でよかった…」
孝太郎は瑠璃にキスをする。
キスをされると、より一層生きて早乙女家から出ることが出来たんだと改めて実感できた。
「家に帰ろう」
「うん」
孝太郎は車をゆっくりと発進させた。

「おかえりなさいませ。瑠璃様。孝太郎様。ご無事でなによりです」
車から下りると高橋が小走りをして寄ってくる。
車は孝太郎が運転してきたものしか無かった。
孝太郎は空車になった駐車場を睨みつける。
「ご迷惑をおかけしました」
瑠璃は深々と頭を下げる。
まだ少し縛られていた感覚が抜けないが、久しぶりに自分の足で歩くのは新鮮だった。
「いいんですよ。お怪我なくこうして帰ってこられたんですから」
高橋が目に涙を浮かべて言う。
「ああ、疲れただろうからゆっくり休もう」
孝太郎は瑠璃の腰に手を回す。
「うん」
「父さんは帰ったんだな」
「ええ、何やら不機嫌そうでしたがお帰りになられました」
「そうか…まあいい。行こうか瑠璃」
瑠璃の足を気遣ってか、ゆったりとした足取りで孝太郎の部屋へ向かった。

孝太郎の部屋へ着いた瑠璃は再び抱き合う。
「孝太郎さん…もう大丈夫だから」
瑠璃は孝太郎の腕から離れようとするが、強く抱きしめられていてできない。
「本当にもっと早く行けばよかった…」
悔やみ切れないような、怒りを押し殺すような声だった。
「私はこうして無事だから。ね?」
瑠璃は敢えて元気だとアピールするように明るい口調で言う。
孝太郎は瑠璃にキスをすると解放してくれた。
「俺は仕事が残ってるから、すまないがまた先に入浴しててくれ。一緒には寝れると思う」
「うん。わかった」
瑠璃は浴室へ行き、お風呂の栓を閉めるとお風呂を沸かすスイッチを押した。
孝太郎は自席について資料に目をやり、パソコンを弄りと忙しそうだった。
だがそんな姿を眺めてるのは非常に有意義で幸せな時間だった。
しばらくするとお風呂が沸き、瑠璃は入浴を済ませた。

瑠璃は眠っていると布団がめくれて目が覚めた。
孝太郎が布団の中に入ってきた。
こうして孝太郎と一緒に寝るのは当たり前になってきた。
「瑠璃…」
甘く自分の名前を呼ばれ、抱きしめられる。
「孝太郎さん…」
瑠璃も孝太郎の名前を呼び、抱きつく。
「好きだよ」
耳元で優しく囁かれる。
「私も」
瑠璃は孝太郎の腕の中で答える。
孝太郎は瑠璃を抱きしめる手を緩めるとキスをしてきた。
最初は唇に触れてただけだったが、徐々に瑠璃の唇を割って舌も入ってくる。
「あっ…」
咄嗟に声が漏れる。
「いいよね、瑠璃」
瑠璃はこくんと頷くと、背中に腕が回りブラのホックを外された。
「恥ずかしい…」
この姿になるのは2回目だったが、相変わらず恥ずかしさは消えなかった。
「大丈夫、とっても綺麗だよ」
孝太郎は瑠璃の手をどかし、胸元にキスをする。
「や…」
「その声もっと聞かせて」
久しぶりの夜は情熱的に終わった。

襖をノックする音が聞こえる。
高橋だろう。
瑠璃は寝起きの頭でぼんやりと考える。
相変わらず孝太郎に抱きしめられていて、動くことができない。
「孝太郎様〜、瑠璃様〜起きましたでしょうか?」
襖越しに声が聞こえる。
「あっ、はい。起きましたー」
「ああ。起きたよ高橋さん」
頭の上から声がする。
と、頭を優しく撫でられる。
「瑠璃もおはよう」
「うん、おはよう」
そっとキスされる。
「朝食の準備が出来ておりますので、是非召し上がっていってくださいませ。それでは」
高橋は襖越しに声をかけてきただけで、どこかに行ってしまった。
「さてと俺達も準備をしていくか」
「うん」
瑠璃はタオルを持って洗面所へ向かった。

準備が済み食堂の襖を開けると、香ばしい匂いが漂ってきた。
机の上を見ると湯気が出たご飯とワカメと豆腐の味噌汁、鮭に大根おろし、ほうれん草のおひたし、金平ごぼう、小鉢に入った大根の漬物が並んでいた。
「わー、どれも美味しそう」
瑠璃は座布団に正座して、目をキラキラさせる。
「高橋さんの料理はとても美味しいんだ。ぜひ食べてくれ」
「そうなんだ、食べるの楽しみ〜。いただきまーす」
瑠璃は手を合わせてから箸を持つ。
ほうれん草のおひたしを1口食べると
「うん!美味しい!」
「だろだろ?他のも食べてみてくれ」
孝太郎が嬉しそうに勧める。
「お味噌汁もいい出汁が出てていいね」
「ああ、高橋さんが作る味噌汁は俺も大好きなんだ」
「いいなー私も今度作り方教えてもらいたいなー」
「瑠璃は普段料理するのか?」
瑠璃の動きがピタリと止まる。
「え〜…たまにする程度かな?あはは…」
瑠璃は愛想笑いをして誤魔化す。
「そっかたまにか」
孝太郎は微笑を浮かべ味噌汁を1口飲む。
(本当に今度、高橋さんに教えてもらおう…)
瑠璃は決心したかのように漬物を1口食べた。
素朴で家庭的であっさりとした味付けの料理たちは、毎日食べても飽きないだろう。

車が職場の病院まで着いた。
「今日も送ってくれてありがとう」
「これくらいのことはさせてくれ」
孝太郎は瑠璃にキスをする。
すぐに瑠璃から唇を離す。
「ちょ、実はここ病院から丸見えなんだけど…」
丁度受付の真正面の位置に車があった。
「いいじゃん別に」
「なんにもよくない」
瑠璃はそっぽを向く。
幸い、受付には人がいなく、見られてる可能性は低そうだった。
が、もしかしたら医院長にでも見られていないかと、冷やかされたりしないかとヒヤヒヤする。
「じゃあ終わったらまた連絡してくれ。今日も頑張って」
「もう、孝太郎さんもね」
瑠璃はやや困ったように車のドアを閉めて、病院へ向かった。

「おはようございます〜」
瑠璃は職場のドアを開ける。
「おお、浅田〜、朝から随分彼氏くんと仲良さげじゃねーか」
渡辺が茶化すように言ってくる。
どうやらさっきの一部始終を見られていたようだ。
「あれは向こうが一方的に…」
「まあまあいいじゃないの〜。あー若いって羨ましいわ〜」
「そうよね〜。うちなんてもう何年も旦那とそういうことないわ〜」
「ホントよね〜うちもだわぁ〜」
先輩たちの羨ましいそうな、なんとも言えない視線に耐えられなくなった瑠璃は居心地が悪くなり、足早に更衣室へ向かった。

昼休み
いつも通りコンビニで買ってきたパンを食べていると、スマホが鳴った。
確認すると孝太郎からだった。
「お疲れ様。今日の夕食はなにがいい?」
「ん〜どうしよう」
以前、カルボナーラと言ったところあの純和風な部屋に洋食という、かなりミスマッチな選択をしてしまった。
「今回は何がいいかなー。オシャレな和食オシャレな和食…」
どんなに考えても出てこなかった。
「ああもういいや」
瑠璃は投げやりになり「カレーが食べたい」と返信した。
こうして昼休みは終わり、午後の仕事が始まった。

「お疲れ様です」
瑠璃は職場の人たちへ挨拶をすると、病院を後にした。
しばらく外で待っていると見覚えのある高級車が止まった。
「お疲れ様〜ありがとう」
瑠璃は助手席へ乗り、シートベルトをつける。
「ああ、お疲れ様。今日はどうだった?」
「ん〜、今日はね…って朝のやつ、やっぱり見られたみたいなんだけど」
瑠璃は口を尖られせて言う。
「ふーん。そうなんだ」
孝太郎は特に気にした様子もなくハンドルを回す。
「職場の人にからかわれたよ〜もう…」
「瑠璃はからかわれて嫌だった?」
「嫌というよりは…」
恥ずかしさが勝っていた。
孝太郎とはもう何回もキスしているが、未だにドキドキしている自分がいた。
しかも人様に見られてたなんて尚更だった。
「じゃあ気にすることないじゃん」
「いやいや気にするって…」
「ならそれが習慣になる様にするしかないかなー」
「習慣になるようにって…」
「だったら職場の人もいちいちからかってこないだろう?」
「それはそうかもしれないけど…」
「ならそういうことで」
「もう!今度キスされそうになったらガードする!」
「瑠璃は俺とキスするの嫌?」
「い、嫌じゃないけど、もっとこう…場所を考えて欲しいってこと!」
「なるほどねー」
孝太郎は嬉しそうにアクセルを踏む。
「…わかってくれた?」
瑠璃は不安げに孝太郎の整った横顔を見つめる。
「ああわかったよ」
孝太郎は瑠璃の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ならよかったけど…」
「他に職場であったことは?」
「うーん、そうだなー…」
次第に和やかな雰囲気になってきた。
雑談しているうちに屋敷に着いた。

「おかえりなさいませ」
車を降りると同時に高橋が出迎えてくれた。
「ただいま、高橋さん」
孝太郎がにこやかに声をかける。
「高橋さん、ただいま帰りましたー」
「お2人ともお元気そうでなによりです。今日の夕飯はカレーですよ」
「わー楽しみです〜」
「ああ、いつもありがとう。早速いただきに行くよ。行こうか瑠璃」
2人は食堂へ向かった。

食堂の襖を開けるとカレーの香ばしい匂いがしてきた。
「わー、いい匂い」
瑠璃が歓喜の声を上げる。
「冷めないうちに食べようか」
「うん、いただきまーす」
瑠璃は手を合わせ、カレーを食べ始める。
「ん〜スパイスがいい感じ〜」
ピリッと辛く絶妙なバランスでスパイスが調合されていた。
「な〜、高橋さんお手製スパイスだ」
「美味しいね〜」
「そうだな。瑠璃、大事な話があるんだ」
「だ、大事な話って?」
瑠璃は背筋をピンと伸ばし、身構える。
孝太郎は瑠璃を真っ直ぐ見つめるとゆっくりと口を開く。
「仕事を辞めて欲しいんだ」
「え?」
「仕事を辞めて家庭を守って欲しい」
「それって…」
つまりは専業主婦になってくれということだろうか。
「でも私、料理なんて全然できないし…」
掃除なんかも気が向いた時しかやらない。
そんな人間がこんな屋敷を守るなんてことできないだろう。
「ああ、それでも構わない。そんなのは少しづつやっていけばいいのだから」
「少しづつ…」
高橋に教えてもらないながらやっていけばいいのだろうか。
そんな悠長なことをしてても孝太郎は許してくれる。
「すぐに答えを出さなくていいから」
「うん…」
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