粉雪小夜曲

……闇夜の女神が黒い天鵞絨(ビロード)と宝石のドレスを身に纏い、流麗な歌声で全ての生命を眠りに導いたような、静粛な夜である。

風の精霊だけが女神の赦しを得たように、静かに夜空を舞い踊っていた。

漆黒の空には歌劇舞台のように丸い巨大な銀月が煌々と輝き、その月を背景に二人の黒い人影が飛翔しているのが見える。
男女のようだ。
大柄な人物が一人の女性ー胡桃(くるみ)を両手で抱えている。

静寂に包まれた世界のなか、抱擁されている胡桃の遥か下で、色とりどりの街の明かりだけが、草花のように健気に咲き乱れていた。

空も地上も神秘的で、最高神が所有する庭園とは、こういう物かと思わせる。

「すごい、きれい……!」

胡桃は地上に目をやり、次に空を見上げ感嘆の声を漏らした。
そして何より重力を全く感じさせない今の状況が、それらをより一層、魅力を引き出しているのだった。

興奮気味の胡桃に、彼女を抱えている人物は顔を向ける。

『きみの方がきれいだよ』

女性を抱える人物にそう囁かれ、胡桃は赤面した。
その人物の顔は月明かりと逆光になっており見えない。
というよりも人型の輪郭は見えるものの黒い影であり、詳細な容姿は不明であった。

今夜こそ、正体を知りたい。

男の腕には青基調の麻素材の腕輪が風に揺れている。
そして首に回す胡桃自身の腕には、赤基調の麻素材の腕輪が揺れていた。

胡桃は影の顔をじっと見つめる。

「あなたは、誰なの?」
『僕は……』

抱える人物の手から突然、胡桃の体がすり抜けた。
地上にめがけてまっ逆さまに落ちていく。
くるみは悲鳴をあげ、そして……。

「……!!」

顔面からベッドから落下し、フローリングの硬い床と激しいキスをした衝撃と激痛で目が覚めた胡桃は、転がり回りながら悶絶し、独り狂騒曲を奏でた。

「いったあ……」

涙目で口を押さえ、しばらく痛みと格闘していた胡桃だが、やがて痛みも治まりニヤリと笑った。


(いつもながら、すてきな夢だったなあ。お姫さま抱っこで夜空を散歩。また会いたいな、愛しい方)


胡桃がこの夢を見ることは初めてではない。
すでに幾夜を重ねている。

しかしいつも男の正体を知る寸でのところで、胡桃にアクシデントが起き夢を終えるのだった。

消化不良な夢ではあるが、胡桃は悪い気はしていない。
それ以上に甘い出来事を体験できるからだ。

胡桃は赤い腕輪に目を落とす。
恋愛成就の御守りである。


(やっぱり、これのせいなのかなあ?)


ガチャガチャの景品である。
軽い気持ちで回し身に付けたのだが、どうやっても外れないのだ。
カプセル内に入っていたシリーズのラインナップの案内用紙には、こう書かれていた。

『成就するまで取れませんので、ご注意下さい』

洒落や遊び心で書いた注意書きかと思っていたのだが、本当に切れない。
麻紐のような素材で華奢な物に見えるのに、鋏を使っても切れないのだ。

その後、夢に現れるようになった謎の人物。

彼は運命の相手なのだろうか。
また逢えるのだろうか。

< 1 / 3 >

この作品をシェア

pagetop