エリート弁護士は契約妻と愛を交わすまで諦めない


ふわふわと漂っているような感覚から、急に意識が引き上げられてくる。
瞼を上げる。身体がひどく重くて、横たわったまま動けない。白い天井だけが見える世界で、周囲の人の声や物音が忙しなく耳に届く。それとともに徐々に身体に感覚が戻ってきて、消毒液の匂いの中、誰かが私の手を握っていることに気づいた。
顔を少し動かす。頭が軋むように痛んだけど、ちゃんとその人物が見えた。
スーツ姿の朔。私の手を握りながら、祈るように俯いている。大きな肩が噛み殺しそびれた嗚咽と呼応して少し揺れる。
朔が泣いている。今まで一度も見たことがない。どれだけ寂しくても、つらくても、涙を零すことはなかったのに。
「さ……」
名前を呼ぼうとしたら喉がカラカラでうまく声が出ない。それでも、朔が瞬時にこちらに顔を向けた。座っていた椅子からいきおいよく腰を上げて私の顔を覗き込む。
「柚瑠、大丈夫か!?」
小さく頷きを返すと、朔の表情が少し解れる。
泣いた跡が残る頬に手を伸ばそうとしたら、ピキッと激痛が走って、堪らず呻く。
「まだ動くな!肩打ってるから」
朔は血相を変えて上げかけた私の腕を戻す。
なんて、情けない。朔の頬も拭ってあげられないなんて。
でも、まだやることがある。
「さく……」
掠れた声で呼ぶ。腹に力が入らないから弱くて小さな声だったけど、察した朔がこちらに顔を近づけてくれる。
彼の耳元に唇を寄せる。
「愛してる」
はっきりと言った。相変わらず掠れた小さな声でしかなかったけど、朔が息を呑んだのが聞こえた。
「バカ……」
私を見て朔が笑った。ぐにゃりと顔を歪ませて。その眦から新たな涙が先ほどの跡を伝って流れていく。
「俺もだ。ずっと」
握っていた私の手に頬を寄せた。あたたかな雫が手の甲にも伝ってくる。
「お前だけを愛してる」
ああ、私……。
十年以上胸につかえていたものがなくなって、息を吐くと涙がはらりと頬に流れ落ちたのがわかった。



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