エリート弁護士は契約妻と愛を交わすまで諦めない
何より、私を驚かせたのは女のほうだった。大学の親友、砂川英里子。今も連絡を頻繁にとり、しばしば休日も会っていた。それこそ、宏尚を私に紹介した子で、恋愛の相談を彼女によくしていた。身体を繋げたまま埴輪顔でこちらを見る二人に、私は怒鳴ることも泣くこともできなかった。
ただ「そっか……」と力なく笑って踵を返した。
そして、またふらふらと宏尚の部屋を出て、駅へと歩いていた。
いつからだろう。
紹介された直後からだろうか?それとも最近?
考え出してもわからない。すべて可能性があるようで、ないようで。結局、自分は宏尚のことを思ったほど知らなかったことに気づく。明るくて誰とでもすぐ打ち解ける……そんな表面的なことしか知らない。
ぐるぐる考えているうちに、気づけば自分のマンションについていた。帰ってからのルーティンを身体が覚えていて、いつもどおり着替えて、お風呂に入る。ただ、そこからは違った。浴室でシャワーを浴びると、さっき目の当たりにした光景がフラッシュバックする。
動悸で気持ち悪くなってビショビショのまま浴室から飛び出た。ふたりの息遣いがすぐ近くで聞こえてくる。蹲って耳を抑えても全然消えない。目を閉じれば鮮明に浴室の湿気や空気、ふたりの濡れた肌も生々しく蘇る。
身体を乱暴に拭いて服を着ると、鞄にしまったままのスマホを取り出す。どちらからも連絡はない。あったとして、どう対応するかもわからない。怒りや悲しみは確かにあるけれど、絶望がすべてを覆い隠して言葉にできない。
結局、一睡もできないまま朝を迎えて、ダラダラと出勤した。こういう時でも会社に行かねばと思うあたり、社畜を極めすぎていた。でも、よりにもよってその日は最悪だった。昼前に部長に呼び出されてふたたび叱責を受けた。契約書類が一部紛失したとのこと。私と営業の杉本さんが担当していた仕事のものだから怒ることは間違いではない。
でも、私は契約書類はすべて杉本さんに渡した。彼が各所に判をもらって部長に提出するはずだった。
「私は、前田さんに渡しましたよ」
「え?」
見上げた先の彼の顔が冷たく、視線は鋭利に突き刺さる。
「また、前田か!お前、ミスばかりして!本当に使い物にならないな!」
部長の怒号がズドンと私の身体を貫いて粉々にしていく。
なんで?私、ちゃんとチェックして渡したのに。
「おい、聞いてるのか?」
「は……」
詰め寄ってきそうな勢いの部長に返事をしようとしたら、声が出なかった。かわりにドクドクドクと心臓が嫌な音を立てて早くなっていく。
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