エリート弁護士は契約妻と愛を交わすまで諦めない
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「柚ちゃん、あれ貸してくれない?あれ、ほら、寝癖直すやつ」
「それならここに!」
「ありがとー」
ヘアミストを手渡すと京子さんがにこっと口角を上げる。
京子さんが加わっての新生活はバタバタと慌ただしく時間が過ぎた。京子さんはアメリカの会社でインテリアデザイナーとして働いていた。このたび独立して、オフィスを日本に移してこちらに住む。
オフィスはもう決まって稼働しているらしい。マンションを買うのか借りるのか、いろいろ悩んでいるそうで……。気に入る物件が見つかるまで息子の家に住もうと昨日決めたそう。
もともと京子さんは一念発起したら行動が早く、離婚を決めた時も、アメリカに行くと決めた時も決断が早かったとうちの母から聞いたことがある。
「ちゃんとあらかじめ自分で用意しておけよ」
朔が呆れ顔で洗面所を覗く。
「だって、私すぐどこかに置きっぱにして忘れるじゃない?」
「だからって柚瑠を小間使いみたいにするな」
「わ、私はこれくらいしかしてないから」
朔は早く起きて朝ご飯を作ってくれているし、京子さんは朝はコーヒーだけしか飲まないから、私がやることは京子さんの朝支度で足りないものを持ってくるだけ。ただ、仕度のスピードが半端ないから息を吐く暇もない。
「あー、やばい!もうこんな時間!カバン、カバン!!」
「リビングのソファー横」
「サンキュー」
朔に言われて、スリッパで駆け出す京子さん。
「ほんと落ち着きない人だな」
朔の呆れ顔にも少し疲れが滲んでいる。最近、朔の仕事も忙しくなった。前まで朝早くに出勤はしていたものの、八時までには帰宅していたのが、日付を跨ぐことが多くなった。
帰宅時間が不規則で、私は先に寝ているように言われているから、顔を合わせるタイミングが朝しかない。その朝すらバタバタで碌な会話もできず。
そう、キスをしてからまともにふたりで話す時間がない。あの日から妙によそよそしくしてしまう自分。意識していますと言っているようなものだ。だからといって、こうしてふたりきりになるとなんて言えばいいのか混乱する。でも、このまま気まずいのは嫌だ。
「あ、あの、朔?」
「何?」
「この前のことなんだけど……その場の雰囲気というか、流れになっちゃっただけってわかってるから」
「は?」
「だって、私たち、契約でしょ?」
自分で言うのも苦々しい事実。でも、ここでちゃんと線引きしないと、朔に私の気持ちを悟られてはいけない。この結婚が終わる。
朔は思いっきり眉根を寄せて私を睨む。その眼光にビクッと怯んだら、朔がこれ見よがしに肩でため息をついた。
「はぁ、そうかよ」
それだけ呟いて玄関へと歩いていく。その背中が明らかに怒っている。あとを追ったはいいけど、朔が何に憤慨しているのかわからないのだからかける言葉も見当たらない。
「じゃあ、行ってくるから」
こちらを見ずに出て行く。その後を鞄を抱えた京子さんが追いかけていく。
「私もいってきまーす」
「い、いってらっしゃい」
玄関のドアが閉じれば、まるで嵐の後のようにひっそりとなる。
私はひとりでリビングで用意されていた朝ごはんを食べ始める。サラダとハムエッグ。いつもどおり私好みの卵は半熟。さすが朔。
焼いたパンの上にハムエッグを乗せて食べる。行儀が悪いけど、おいしい。おいしいけど……。
「怒らせてしまった」
ため息をついて頭を抱えた。