「私の為に、死んでくれませんか?」 ~君が私にキスしない理由~
揺れるススキと同じ流れで、彼の髪の毛がひらひらと揺れる。顔を上げ、遠い空を見守る綺麗な横顔は、どこか懐かしい感情さえ呼び起こしてしまう。もう少し太陽の光が強くなり、瞬きでもしたらそのまま消えてしまいそうで…私は彼から目を離すことができなかった。そして、実感した。

ー私は、この人から逃げ出すことはできない。
いくら本能が強く警告しても、もう遅いのだ。

なぜなら、私は…今彼が、どうか消えないで欲しいと、強く願っているから。



「ー来たか」


声が届く距離まで近づいた私に振り向きもせず、社長はそう言った。まるで私がここへ来ると予想していたかのように、遠くを見つめたまま微動だにしない。どう声をかければいいのか迷う私に、ふと社長がどこかを指差した。私達がいる丘から見下ろした箇所には、馴染みのある男二人がいた。


(あいつら…)


そう彼らは少年を残酷に殺害した男たちだった。人跡まれな奥山で、男たちはそれぞれの車をおいたまま、外でお酒を飲んでいた。お酒も入り、誰もいないと油断しているからか、二人の声はこっちまで聞こえるほど十分大きかった。


「おい、聞いたかよ?あの女、未だに警察署で暴れてるらしいぞ。ちゃんと調査しろって。そんなこと言ったってなんの意味もないのに、愚か者め」

「全くっすよ。ーで?兄貴はこれからどうするんすか?」

「決まってるだろ。あの愚かな女はもうどこにも頼る所がねーんだ。最高に弱ってるってことだ。だったら、これこそよりを戻せるチャンスだろ?」

「うわー兄貴らしい考えですな。その愛情に俺涙が出ますわ!!」


二人の会話は聞くだけで反吐が出る。それと同時に、悔しさで体が震えた。私はギュッと拳を握り、音が出るほど強く歯を食いしばった。自分自身が誰より確実な目撃者であることを、誰にも言えずただ飲み込んでしまうことが辛くて仕方がなかった。結局私は我慢できず、社長に訊くしまった。死神としては決して口にしてはいけない、あの言葉を。

「我々が彼らを通報することはできませんか?」

「…」

「どんな形でもいいです。我々が、いや、私だけでもいいです。何かの手段を使って、彼らの悪質な行動を知らせることはできませんか?彼らに罰を与えることはできないのですか?このままでは…このままでは…」

社長は私の叫びを黙々と聞くだけで、何も言わない。私の声はこの人の耳にとどいているのだろうか、そういう疑問が湧いてきた頃、社長が奴らを見ていた視線をゆっくり動かし、私の目を真っ直ぐ見つめた。


「悔しいか?」

「…」

「勘違いするな、死神は正義のヒーローでも、物事を万能に解決できる魔術師でもない。ただこの世の秩序を守るため、死者を案内するだけの役だ」

「でも、何か方法が…」

「方法ならある。君が掟を破り、直接奴らを警察に通報したり、マスコミに連絡したりすることだ。しかし、一体誰が正体不明の君の話を聞いてくれるんだ?君は頭でも打った人扱いにされ、何の意味もなくレーテーの川の底へ落とされる罰を受けるだけだ。死者は決して生きている人間に関わってはいけない、たとえそれがあの世を全て司る閻魔大王だとしても」

強い警告で、私はそれ以上何も言えなかった。川の底へ落とされたとしても、せめて自分が何者だったのかは知ってからにしたい。その願いのためなら、今自分がどう行動するべきかくらいよく理解している。それでも、それでも…。感情の整理ができないまま、苦しむ私に社長が再び言った。今回はあの「別の件」についてだった。


「君は、これからどうする気だ?」
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