まどかな氷姫(上)~元妻は、愛する元夫からの愛を拒絶したい~
「どうして花田さんが、たま……白峰さんの家を知ってるんだ?」
「ふふ、内緒」
「…………………」
「やだ、あんまり怖い顔をしないで。傷を庇う獣みたいな目よ」
ただの軽口か、はたまた侮蔑なのか、判断のつきにくい声が耳に届く。
「用件は何かな」
「ただ元気かなーって顔を見に来ただけよ」
黄昏時ということもあり、玄関の向こうの彼女の姿がはっきり見えないのも猜疑心を煽った。
一度しか言葉を交わしたことがない相手が、家まで来るのも正直怖い。
私は手を胸元で握りしめ、心を落ち着かせようとする。
(変なの、相手はただの女子高生だって言うのに)
私の場合、いざとなったら力で何とでもできる。それだというのに、この拭いきれない不安はなんだというのだろう。
(まどか……大丈夫かな)
心配になって、立ち上がりかけた、その時。
真っ黒な影と化した彼女の瞳が、扉とまどかを通り越して私を捉えた気がした。
(っ)
ぞくりと、肌が粟立つ。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのような状態のことを言うのだろう。金縛りを受けたように体が動かない。
「見ーつけた」
真っ黒な彼女の唇が、声なく動くのを見た。
まどかは気づかなかったのか、
「俺も見舞いに来ただけ。結構具合悪いみたいだからさ、今日は帰ってもらっていいかな」
そう言って、そのまま扉を閉めようとした。
けれど。
――ガシッ。
戸が閉まる直前、室内に音を立てて手が差し込まれた。
遠くからでも、その手は扉の縁を強い力で握り、戸が閉まるのを阻んでいるかのように見える。
「なっ…」
まどかが驚愕の声を上げると同時、細長く華奢な指に不釣り合いな恐ろしい力が加わり、扉がぐわりと開かれた。
「こんばんは、しらたまちゃん」
目の前に。一瞬で。
セミロングの茶髪を背中で揺らし、私を見下ろしながら立っていた彼女は、
「私、あなたに逢いに来たのよ」
リンゴのように赤い唇を動かし、妖艶に微笑む。
そして、何より。
夕陽を弾く紫色の瞳が私を見ていた。
(この色、どこかで――)
「珠緒!!」
振り向いた彼がこちらの状況に気づき、駆け寄ってくる。
しかし、目の前の女子生徒は鬱陶しそうにまどかを見ると、ふいに彼のいる方の虚空へと片手を伸ばした。
瞬間、悪寒がしてまどかに向けて叫ぶ。
「まどかっ!来ちゃダメ!!」
「何を……」
花田さんの瞳が妖しく輝くのを見て、それから――。