まどかな氷姫(上)~元妻は、愛する元夫からの愛を拒絶したい~
口の中に、血の味が広がる。
思いのほか強く噛んでしまったらしい。
「近衛君、委員会の事で相談が……」
「あぁ、うん。今行くよ」
誰かもろくに認識せず、後ろからかけられた声に笑顔を張り付けて返事をする。
往生際悪く、去り際に彼女を一睨みして踵を返す。
(なんなんだ、あの女)
ぐちゃぐちゃになった思考を持て余し、俺は周りにいる女子たちに断って、男子トイレへと逃げ込んだ。
(イライラする……)
俺の事を初対面で嫌いだなんて言ってくる人間は、今も昔も、あの女が初めてだった。
(………………昔?)
トイレ内に誰の姿もないのをいいことに、そのままその場に蹲る。
組んだ腕に顔を埋めて固く目を閉じれば、先ほどの彼女の色々な表情が浮かんでくる。
『一目見たときから、あなたの事が嫌いです』
その言葉を聞いた瞬間、息の仕方を忘れた。
『私の視界に入らないでください』
こんなにも、胸が痛くて、目が熱くて、呼吸が乱れるのは。
そう、きっと。
「………………ムカ、つく」
ポロリと、大粒の雫が頬を伝って落ちた。
「……きらい」
心臓が痛い。
「………きらいだ」
息ができない。
「…………おれ、だって」
涙が止まらない。
「だいっきらいだ…っ!」
俺は誰もいないトイレの中で声を殺しながら、自分でも呆れるほど女々しく、膝を抱えて大泣きした。
第一印象が最悪だった彼女の名前を知るのは、この数日後のこと――。