まどかな氷姫(上)~元妻は、愛する元夫からの愛を拒絶したい~
彼の横を通る一瞬、視線が絡み合う。
泣きそうな、苦しそうな、悲しげな瞳。
私は笑顔がはがれぬように意識しながら、にっこり言った。
「では、さようなら、近衛さん」
彼の顔が歪むのを見ないように、私は視線を前へ向ける。
これは、私なりの線引き。
彼がこちらへ不用意に踏み込まないように。
私が私欲に走って、彼に近づきすぎないように。
――私と、大好きな彼を守るために、必要不可欠なものなのだ。
そのまま前に歩き出そうとする。
けれど。
「待てよ」
「!」
後ろから手首を掴まれ、動きを止められた。
驚いて振り返れば、氷の冷たさに堪えるように唇を噛んでいる彼。
(性懲りもなく触れるなんて)
しかも、今度は手を離さない。
ずっとずっと、彼は縋る様な瞳でこちらを見ながら、私の手首を捕まえていた。
触れた肌から、焼けそうなほどの熱を感じる。
私にとって、普通の熱は不快以外の何物でもないけれど、彼の熱だけは唯一、私が耐えうる大好きな熱だった。
「離して」
「名前」
「は?」
彼の口から聞こえた言葉に眉を寄せる。
「なに?近衛 円で合っているでしょ?」
「俺なんかの名前じゃなくて」
「…………」
そこまで言って、彼は台詞を切ってしまった。
私がじっとその瞳を見返すと、気まずそうに視線を逸らされる。
短い一言だけれど、彼の言わんとすることは理解した。