まどかな氷姫(上)~元妻は、愛する元夫からの愛を拒絶したい~



彼の横を通る一瞬、視線が絡み合う。

泣きそうな、苦しそうな、悲しげな瞳。

私は笑顔がはがれぬように意識しながら、にっこり言った。


「では、さようなら、近衛さん」


彼の顔が歪むのを見ないように、私は視線を前へ向ける。


これは、私なりの線引き。

彼がこちらへ不用意に踏み込まないように。

私が私欲に走って、彼に近づきすぎないように。


――私と、大好きな彼を守るために、必要不可欠なものなのだ。


そのまま前に歩き出そうとする。

けれど。


「待てよ」

「!」


後ろから手首を掴まれ、動きを止められた。

驚いて振り返れば、氷の冷たさに堪えるように唇を噛んでいる彼。


(性懲りもなく触れるなんて)


しかも、今度は手を離さない。


ずっとずっと、彼は縋る様な瞳でこちらを見ながら、私の手首を捕まえていた。

触れた肌から、焼けそうなほどの熱を感じる。


私にとって、普通の熱は不快以外の何物でもないけれど、彼の熱だけは唯一、私が耐えうる大好きな熱だった。


「離して」

「名前」

「は?」


彼の口から聞こえた言葉に眉を寄せる。


「なに?近衛 円で合っているでしょ?」

「俺なんかの名前じゃなくて」

「…………」


そこまで言って、彼は台詞を切ってしまった。

私がじっとその瞳を見返すと、気まずそうに視線を逸らされる。


短い一言だけれど、彼の言わんとすることは理解した。



< 15 / 104 >

この作品をシェア

pagetop