まどかな氷姫(上)~元妻は、愛する元夫からの愛を拒絶したい~
幸いなことに、こちらも一度進んでしまえば直線だ。
家と家の間、高い塀と家の陰になって、太陽の光は直接差し込まない。
夕暮れ時は特に、西日とは水と油のように相いれない闇が、一層濃厚になる時間。
暗い、黒い道。
私が影の中を歩いているのか、私が影になって歩いているのか。
そんなことを考え始めていた、その時。
「こら、やめろって」
そんな声が聞こえてきた。
同時に、路地を抜ける。
橙の光が目を刺し、そして。
行き止まり。
否、広い空き地に出ていた。
住宅が並ぶ中、そこだけ構える家屋を失い、ぽかりと広がった草原だった。
整備されているとは言い難い、荒れた敷地。
心無いものが捨て置いていったのであろう、古びた家電製品や錆びた配管などが、まるで朽ち果てた墓石のように隅に転がっている。
荒廃した寂しげな黄昏色の景色の中。
横になった冷蔵庫上に座っている人影があった。
夕陽を浴びてオレンジ色に染まった髪。
細身の、けれどしっかりとした背中。
茶色い何かと戯れる、優しげな声。
「………っ」
呼吸をすればその光景が夕やみに溶けて跡形もなく消え去ってしまいそうで、息を殺しながら一歩、足を踏み出す。
足元に茂る草が、カサリと微かな音を立てる。
まだ距離のある彼は背中を向けたまま、手元の――猫に言葉を投げかけている。
また一歩。
砂利が僅かに音を奏でる。
彼はまだこちらに気づかず、猫の両手を握って遊んでいる。
また一歩。
震える唇から、小さな声が零れた。
「……………まどか?」
「!」
まだ、距離はあるのに、息を呑む気配がして。
その肩が揺れたと思うと、彼は動きを止め、静かに振り返った。
「…………」
全てがゆっくりに思えるその一瞬。
夕暮れの中で振り向いた彼が、果たして誰なのか、私はすぐには分からなかった。
「…………あんた」
昔の彼ならば絶対に使わないその呼び方を聞いて、泣きそうになったのと同時に、顔には勝手に笑みが浮かんでいた。
(時間は巻き戻らない。あの日々には二度と戻れない)
風が吹く。
(でも、愛しいあなたは、生きてここにいる)
長い髪が宙に舞うのを、耳元で押さえる。