帰り道、きみの近くに誰かいる
「ありがとうございました、昨日も今日も続けて助けてもらって…そしてご迷惑をお掛けしてすみませんでした。私なんかのために時間を割いてもらって…」
莉子は固い言葉でお礼を言うと顔を伏せた。
そんな彼女を見て、廉は改めて真面目な子だなと思う。
「俺が莉子ちゃんのことが気になっただけだし、一緒に帰ろうって誘ったのも俺なんだから、莉子ちゃんは気にしなくていいよ。謝ることはない」
彼女に近寄ったのは自分のエゴだし、こっちが勝手に莉子に近寄っただけのこと。
「ここまでご丁寧にしてもらって…」
「…そこまで固くならなくていいよ」
思わず、莉子の言動に度々笑ってしまう。
「なんでそんなにご丁寧にしてもらえるんですか…?」
「俺が…莉子ちゃんのこと気になるから」
目をまん丸にして大きく瞳を見開く莉子。
「気になるってどーゆーことですか」
「気になるっていうのは…長くなるけど説明しようか?」
「いいです、良いです。説明いらないです。絶対。何も聞きません」
何を言っても大きな反応をする莉子を見て、廉は素直に可愛い子だなと思った。
「とりあえず家の人に今日のことを報告して、また学校にも伝えとるといいよ。何か対策してくれると思うし、俺も助かるから」
廉がそう言うと、さっきまで普通に会話をしていた莉子は口を噤んだ。表情が変わり、時が止まった。若干目を伏せて廉から視線を外す。
「母は仕事で帰りが遅いので今日はゆっくり話せないかもしれないです。父もいないから」
「…そうなんだ」
父もいないから、と言う言葉に廉は少し反応したがそのことに関しては突っ込んで話をすることは出来なかった。
少し暗くなってきた辺りの家は部屋の電気がつき始め明るく照らされている。
それに比べ、莉子の家はまだどこの部屋も電気がついていなかった。玄関にある人感センサーの小さな灯りだけがその場を照らしていた。
莉子が言った通り、母は帰りが遅いのか、これから莉子は誰もいない家へ帰ることになる。
廉は、ふと莉子が言っていた言葉を思い返した。
「さっき、コンビニで早く帰れなければいけないって言ってたから、何か家で用事があるのかなって思ったけど。いつも早く帰ってるの?」
話の話題を変えようと何気なく出した言葉に対して、莉子は更に深刻な顔をした。
さっきからずっと、廉とは目を合わせない。
そんな彼女を、廉はじっと見つめていた。
だから小さな変化にすぐ気づいた。自分はとても深刻なことを聞いてしまったかもしれない、と。
「家に用事はありません。でも、私には早く帰れなければならない理由があるんです」
廉の質問に答えようか、どうすればいいのか悩んでいるのが伝わってくる。
そんな彼女を追い込むことをしないように、何も質問せず、ただ黙って聞いていた。
「早く帰らないと、辺りが暗くなって、精神的におかしくなるんです。昔、色々あってそれから怖い思いをするようになって、夜暗くなると、過呼吸が起こるようになって…」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、必死に自分のことを話そうとする。
それは自分自身を見つめ直しているかのように、ゆっくりとした辿々しい喋り方だった。
不安定な口調だが、何か自分に対して訴えてくれているような気がして、廉は必死に彼女の言葉を聞き取ろうとした。
莉子はゆっくりと深呼吸をして、続けて言った。
「私、夜道を歩けないんです。だから学校が終わると、早く帰らないといけないんです」
莉子の告白に、正直、廉は戸惑いを隠せなかった。
彼女は細い声だが、最後まで廉に伝えきる。
彼女にとってはとても大きな告白だっただろう。だから余計に、中途半端な返事は出来なかった。
何て返事をすればいいか分からなかった。
「ごめんなさい、よく意味が分からないですよね。夜道が歩けないなんて言って」
俯いたまま莉子は言う。
「違うんだ。でも夜道が歩けないって初めて聞いたから少し戸惑って。夜が怖い?」
「そうです。怖くて、過呼吸を起こします。何度か夜道を歩こうと挑戦しましたが無理でした。足が震えてその場から動けなくなります」
だから早く帰ろうとしてたのか。夜が来れば動けなくなるから。
でも何故そのような症状が出てしまうのか。精神的な問題なのか。
例えば太陽を浴びたらアレルギー反応を起こして体に支障をきたし、日中は外を歩けないという病気をテレビか本で聞いたことはある。
だけど夜に歩けない病気というのは聞いたことがなかった。
体を震わせながらその病気を告げる彼女を見て深刻な問題だと思った。
「わかった、話してくれてありがとう」
廉はそう言うも、何も分かってあげれてない。ただ理解はしようと思った。
「とにかく早く家に入って。もう暗くなり始めるから」
そう付け加えて言うと、莉子は今日やっと初めて微笑んだ。安心した顔をしていた。
「また明日も家まで送るから」とだけ伝えて、家に入っていく彼女を最後まで見送った。
彼女は大きなトラウマを抱えていた。
それは夜道を歩くことができないほどの痛みだった。