帰り道、きみの近くに誰かいる
教科書を読む
私は先輩に自分のトラウマを告白してしまった。
誰にも言えなかった悩みだった。
学校が終わると早く帰らなければならない理由。
それは、夜道を歩くことが出来ないからだった。
ーーーその日の夜。私は夢を見た。
それは久々の夢だった。長い物語を見たかのような夢だった。現実で起きているようなリアリティのある物語。
そこには父がいた。
夢の中で、父と遊びに出かけていた。
物心をつき始めた頃、父と自転車に乗って色んな所に探検に連れて行ってもらってた。
父がこいでくれる自転車の後ろにチャイルドシートをつけてそこに私は乗っていた。
目の前には父の大きな背中。
変わっていく景色を見ながら居心地の良さに眠りながら座っていて、自転車から落ちるのではないかと父はよく心配していた。
彼はそんな小さい頃の私のエピソードを面白おかしくいつもよく話していた。
私は父と仲が良かった。顔つきも父親似でマイペースな性格も、変なところで几帳面さが出る性格もどこか似ている。
だからお互いの気持ちが分かりあえるからこそ喧嘩も少なかった。
それは私が中学生になって思春期に入った頃になっても変わらなかった。
父が大好きだった。
父は若い時から教師をしていて、中学校で担任のクラスを受け持っていた。他の教師や生徒からも信頼も厚く、父自身も自分の職業を誇りに思っているようだった。
学校では生徒指導の先生としても活躍していたみたいで、学校では厳しくもあれば生徒のことを1番考えて接する真摯な態度は、誰に聞いても嫌われるような人ではなかったと聞いたことがある。
家でも厳しい人なのかと言われたら全然そんなことはなく、娘である私には本当に優しい人だった。
いつも家に帰ってきては自分の学校の生徒のことを楽しそうに、時に真剣に話す。
時には夜遅く帰ってきて大変そうな様子も見たことがあるがそんな父を尊敬していたし、格好良い姿だと思っていた。
ーーー教師っていいな、楽しそうだなと思っていた。
中学一年生になった年の夏休みのことだった。初めて父と、喧嘩をした。
あれは花火大会の日のこと。毎年、年に一度の大きな夏のイベントが隣街で行われる日だった。
私は中学生に上がり、初めて友達同士で夜出かけることを約束していた。だけど、父に花火大会は行ってはいけないと反対されたのだ。
花火大会の後に友達の家に泊まりに行く約束をしていたが、泊まらずに早く帰りなさいと父に言われた。
「隣町は治安が悪い。花火大会が終わったら帰りなさい。泊まりだったら夜遅くまで遊ぶつもりだろう?それが守れないなら花火大会に行ったらダメだ」
父は少し過保護な部分もあった。
そんなところは嫌だと思っていた。
私は父に反抗した。お互い意見は変えられず、それがきっかけで言い合いになった。
「学校でも結構情報が回ってきたんだ。去年も花火大会で帰りに被害にあった女の子もいたって聞いたぞ」
「もう大丈夫だって。私、中学生になったんだよ?過保護すぎるよ、せっかく約束したのに」
そんな言い合いが激しくなり、『もうお父さんなんて嫌い』と言って家から飛び出した。
結局友達の家には泊まらずに、花火大会が終わったらすぐ帰ることにした。花火大会が終わり
携帯を見ると父からのメッセージがあった。
《迎えに行くから、駅で待ってなさい》
他の子達はみんなお泊まり会に参加してるのに。悔しくて涙が出そうになる。今頃、みんな楽しんでいるだろうな。何で私は一人でここにいるんだろう。
父からのメッセージの返事をせずに駅で1人、迎えに来るのを待っていた。帰りの電車に乗ろうと駅には人が混雑している。大勢の人が行き交う中、辺りを見渡した。
何分経っても父は迎えには来なかった。
私はただじっと動かず、その場で1人待ち続けてきた。最初は何も変に思わなかった。車で迎えに来ているだろうから、途中で渋滞にかかっているのだろう。
父は約束を破らない。必ず迎えに来る人だ。
あれほど私に過保護なのだから。
大切に思っているのだから。
だから長い時間経ってから、やっとおかしいと思い始めた。
父は結局、迎えに来なかった。
来れなかった。
父は死んでしまったからだ。
父は私を迎えに行く途中に、暴力事件に巻き込まれた。それによって命を落としてしまった。私にとって父を失ったショックは計り知れないものだった。
事件の真相は未だに私は知っていない。
誰に殺されて、なぜ殺されたのか。
知ったとしても父はもうこの世にはいない。帰ってこない。聞いても意味のないことだった。
ーー私を迎えに来ようとしてくれたから。
ーー私が大嫌いって言ったから。
ーー私が花火大会に行かなければこんなことにはならなかった。
ーーー私のせいだ。お父さんが死んだのは私のせいだった。
私は自分自身を追い詰めた。
そして悔やんだ。自分が夜に出かけなければ父を心配させることもなかったはずだ。自分が出かけなければ、事件は防げた。
ーーもう夜は歩けない。
その日から、私はトラウマを抱えた。夜道が歩けなくなったのだ。
辺りが暗くなれば、あの日のことを思い出す。夜道を歩けば、また悲しい事件が起きるような気がする。もうこれ以上、大切な人を失いたくない。
精神的なショックは自分を追い詰め、身体を蝕んでいく。夜道を歩くと過呼吸を起こすようになった。精神的に病んでいると言われてもおかしくなかった。
そして母ともあの事件以来、お互いが面と向かって話すことは出来ていない。あの事件は誰のせいでもなかった。
だけど母が私に対して言った言葉が、今も私たち2人の距離を空けている。
『どうしてあの時、出かけてしまったの』
学校から帰ると、電気もつけずに真っ暗な部屋でリビングに座っている母がいた。母は背中を向けて言った。どんな顔をしてるかは見えなかった。その母の一言で、ショックを受けた。
どうして出かけたの?
どうして喧嘩したの?
あなたが出かけなかったら父は迎えに行って死ぬことはなかったのに。
そんなことを言われているような気がした。私だって、自分のせいで父が死んだと思っている。その言葉は自分を更に追い詰めた。
仲のいい家族はその日をきっかけに一気に崩れてしまった。そして、夜道を歩けなくなってしまった。
夕方、変わりゆく雲の形や空の色、変化していく風景を見るだけで私は恐れるのだ。
ーー夜が来てしまう。夜なんか来なければいい。夜が来るのが怖い。
だから学校が終わると、早く帰らなければならなくなった。