帰り道、きみの近くに誰かいる


ホームから出て駅構内から外に出ると、曇り空が広がっていた。空気を冷たくするような白い雲だ。

午後16時30分を過ぎている。

まだ外は明るい。だけど油断をしていたらすぐに辺りは暗くなる。並木道の歩道を2人で並んで帰る。いつもの通学路を歩く学生は莉子たち以外に誰もいなかった。


「夜道を歩いたら…過呼吸が起こるって言ってたよね。病院には行ったの?」


先輩は気を遣って精神科という言葉を避けて病院と言ってくれてるのだと思った。


「そうです、胸が苦しくなって。病院には行ってないです。呼吸を整える薬や睡眠薬をもらえるみたいですけど。行こうと思ってた病院のサイトを調べたら未成年は保護者同伴って書いてあって、そこで諦めました」

「保護者同伴…お母さんは?この事、知ってるんでしょ?」

「知らないです。夜道が歩けなくなったことは言ってないんです。仲良くないというか…あまり会話をしてないので、自分のことは話してないです」


ふ、と思い出していた。母との最後の会話を。
ーーー『どうしてあの時、出かけてしまったの』

胸がちくっと、刺さるように痛い。


「そっか。それなら仕方ないね。病院に行けないってことは、無理しないように克服しないといけないね。わかった」


病院に行かせるようなことは言わず、ただ全てを聞き受け入れて、次の解決点を探そうとする先輩。彼はどこまで優しい人なんだろうと思った。

今まで一度も、あの事件から外に出ることは出来ていない。
だから花火大会の話を聞いた時も出かけるなんて無理だと思い込んでいた。だけどそんな諦めた気持ちを彼には言いづらい。先輩は何故か、私のトラウマを解消しようとしてくれることに必死だ。

「だけど、いつか出かけれるようにはなりたいです。花火大会。楽しそうです」


呟くように言った。本音が出た。
自分は出かけたい気持ちが心の隅にあるのか。知らなかった意外な気持ちに気づく。

こっちを見る先輩の視線に気づき、私は慌て始める。

「だって、冬に花火大会があるのは珍しいし、ちょっと気になるから」


先輩と一緒に行きたい、と言ったように思われたかもしれない。そう思うと顔がかっと熱くなる。だけど先輩は嬉しそうに笑っていた。


「俺も。この情報知った時行きたいって思ったんだ。行こうよ」


恥ずかしさがどこかに飛んでいった。彼があまりにも素直にそんなことを言うから。


「きっと綺麗だと思うんだ。季節外れに行われるから、尚更見たいって思うんだ。夏の蒸し暑い夜に見る花火と、息が白くなる中で見る冬の花火って、気分が違ってて楽しそうだなって。
今まで冬季の花火は見たことがなかったからさ。」

「たしかに、特別感がありますよね」

「そう、だから莉子ちゃんを誘えてよかった。行けるか分からないけど…行けるといいね」


こんな自分と行こうと誘ってくれる。今までは夜に外へ出かけることは恐怖しかなかったのに、行ってみたいと思えることも初めてだった。

その前向きな気持ちを持てたことが私にとっては第1歩だった。それだけでもトラウマを克服するきっかけにも繋がるはず。

それだけでも大きな前進だ。そう思えた。



そんな会話をしていたら家の前に着いた。私は先輩に深く頭を下げた。

「今日も、ありがとうございました」

「大丈夫。今日はあの男もいなかったし、安心だね」

そういえば、と思った。あれほど神経質に背後を確認して帰っていたが、今日はそのことを忘れていた。

それほど先輩と話に集中していた。


背後を確認する。そこには誰もいなかった。家の前で、2人の会話だけが存在する。

「だけど、油断したらいけない。まだ通り魔事件も解決していないし。昨日の男が事件の犯人と限らないけど。それは分からない」

「そうですね…。結局犯人はまだ逮捕されてないですね」

通り魔事件の犯人はまだ捕まえられたという情報は入っていない。


「そういえば、桑田さんから聞きました。いつも図書館で勉強せずに、以前までは学校で勉強してたって。学校で勉強しなくてよかったんですか?」

私は怪訝そうな顔で言った。大事な時期なのに。自分に構ってる時間なんてないはずなのに。

「いいよ。だって莉子ちゃん、早く帰らないといけないし、一緒に帰りたいから」

そんなことを簡単に何故言えるのだろう。澄ました顔の先輩と比べて、私は顔を赤くする。

「だから、また明日も帰ろう。莉子ちゃんが俺と一緒が嫌でなければ」

少し意地悪そうな顔をして先輩は言う。


「…嫌ではないです」

「莉子ちゃん、なんか顔が赤くなってるよ」


拗ねた私を見て、先輩は軽快に笑った。そして優しく微笑む。その顔を見て、改めて綺麗な顔をした人だと思う。

誰かと一緒に帰って、たわいもない話をしながら家路に着く。そんな経験は久々だった。


「じゃあ、またね」


家まで送り届けた役目を果たした先輩はすぐその場を颯爽と離れた。

空の色を確認しながら、誰とも話をせず学校から帰る毎日が遠い日々のように思えた。


先輩と一緒に帰るのは2回目なのに、そう思えないほどの安心感がある。

そして、また明日も一緒に帰ろう、という言葉が素直に嬉しく思えた。

また明日ね、と誰かと言い合える関係は、当たり前ではなく、暖かい挨拶だ。

その挨拶だけで私の毎日が少しずつ変わりそうな気がした。それは私にとって前向きな発想だった。



それから私たちは一緒に帰るのが習慣になった。

放課後になると先輩は私のいる教室に迎えに 来てくれる。

私は周りの目を気にしながら廊下に出る。相変わらず2人の組み合わせを違和感に思う生徒もいる。それはすれ違う視線で何となく感じていた。だから学校の門を出るまでは先輩が気軽に話しかけてきても私はぎこちない返事しか出来ない。

だけど2人だけになると会話の掛け合いは弾んでいく。

先輩の親しみやすい性格によって、自然と笑顔が増えていった。


放課後が少し、楽しみだと思えるようにもなった。
< 15 / 52 >

この作品をシェア

pagetop