帰り道、きみの近くに誰かいる
答え合わせ
私は状況についていけなかった。
目の前に、お父さんを殺した犯人の弟を名乗る人物が現れるなんて。
そもそも私は、お父さんが暴力事件で命を落とした事だけを知っていて、全ての真相を知らずにいた。だから犯人の名前さえも知らない。
「君のお父さんを殺したのは俺の兄である酒井隆|《さかいたかし》。だけど俺の両親は事件後、離婚したから旧姓の神谷が苗字だ。」
突然、犯人の弟が現れてあの日がフラッシュバックしそうになる。心臓が激しく動いて過呼吸が起きそうだった。落ち着け、と自分に言い聞かせた。
「…あなたですか?最近私のことを追いかけてたでしょう?家の前や、コンビニで」
まず、最近私の周りにいた『不審者』は、神谷だったのかを確認する。神谷は簡単に答えた。
「そうだよ。君のことを調べようとして、君の跡をつけてた。君が偶然、俺と同じ学校の生徒と知ったのは、入学式から数ヶ月くらい経った後だった。学校で見つけた時は本当に驚いたよ。信じられなかった」
「同じ学校の生徒なの…?」
「君と同じ学校で、同じ学年だよ。そうだよね、俺のことを知らないでしょ。あまり学校に行ってないからね。行けたとしても週一くらい。家でずっと引きこもってるから」
神谷は自嘲気味に笑った。
「俺もまさか、君が同じ学校に入学してると思わなかった。何度も話しかけようとしたけど、帰りにいつも誰かが一緒にいたから声はかけられなかった」
やはり、最近出会した不審者の正体は、神谷だった。
「話をしよう。君に聞きたいことがあるんだ」
そう言った神谷に連れられ、住宅街近くの公園に2人でやってきた。そこは滑り台などの遊具がちゃんと揃ってある公園だが、比較的人気の少ないところであった。誰もいない公園に入ると2つ横に並ぶ木で作られた丸椅子に座り、話を始めた。
「君はどこまで知ってるんだ、あの事件のこと」
神谷にそう問われて、私は口を噤む。
被害者なのに事件の真相を知らない。
そのことは神谷に伝え難い思いだった。だけど本当に何も知らないのだ。
あの日、ただ自分は父の迎えを待っていた。ずっと、何時間経っても。
そして心の中では今でも帰りを待っている。そして現実感はなく、信じられない。
もう一生会えないなんて。
何年経ったとしてもその感情はきっと変わらない。
だから知りたくなかった。すべてを知ったら、完全に父は帰って来なくなる。父はただ家に帰ってないだけで生きてる。今でも信じ切りたかった。
「まさか、何も知らないことはないよね?君の肉親が死んだっていうのに?」
現実味を帯びる言葉が突き刺さる。被せられる質問に答えることができない私を見て、冗談だろう、と笑った。
「俺と母親はあの日から苦しめられてるのに、あの兄貴のせいで。君は自分の父親が死んだくせに何も知らずに生きているのか…?」
信じられない、と独り言のように連呼して呟いた。口調も荒くなっていく。
「当時、俺は中学一年生で、兄貴は通信制に通っていた高校生だった。兄貴は学校にも馴染めない落ちこぼれで家族にも顔を合わせず部屋に引きこもっていた。時々、外に出かけに行っては万引きで捕まったこともあったんだ。あいつのせいで母親もよく学校に呼び出されてた。あの日も警察から電話が来て、また万引きでもしたんだろうって。そしたらナイフで人を刺したっていうから、さすがに参ったよ」
「高校生…」
「まさかあんな奴でもそこまでのことはしないと思ってた。だけど本当に捕まってしまった。それから母親と俺は地獄の日々が続いたよ。俺は中学で、友人だと思ってた奴らにいじめられた。それから俺は学校に行かなくて登校拒否をした。両親は離婚して父は逃げた。俺と母親は近所の目もあるから引っ越しを転々としたんだ。世間から隠れるような日々が長い間続いた。俺たちは何もしてないのに…」
初めて知った。父は高校生に殺された。ナイフで刺されて、父は死んだ。想像もしたくなかったが嫌な言葉が次々と頭の中に入り、あの日を思い出してしまう。
隣で神谷は体を震わせていた。そして思いっきり足元にある小石を蹴り飛ばした。その行動に驚いて私の体がびくっと動く。神谷はそんな私を横目で見ながら言う。
「学校に行かなくても勉強だけは続けて頑張って、やっとの思いで公立の普通の高校に入学した。俺は兄貴とは違って母を喜ばせるために。だけど無理だった。中学生のときにいじめられて普通の生活をしてこなかった俺が、高校に行って楽しめるわけがなかった。人と馴染めなかった。また学校に行かなくなった。あの事件から俺も苦しめられたんだ。その上、高校に入って君を見つけた。やっとあの事件から離れられると思ったのに、同じ学校にいるとは思わなかった。あの事件の関係者がまた近くにいると思ったら…世界が真っ暗になると思ったよ。それも君は呑気に男と一緒に帰って、高校生活を楽しんでるように見えた。だから腹が立って、君に嫌がらせをしたんだ。自分がいじめられてた時にされていたことをした」
「それって…」
「君の靴箱にメッセージを入れたのも、上履きを盗んだのも、教科書をぼろぼろにしたのも、俺だ」
血の気が音を立てて引いていくのが分かった。
私の周りで起きた不穏な出来事。メッセージ、靴、教科書。全部、嫌がらせはこの男だった。
「何で…何のために…」
私は言い淀む。
「腹が立つんだよ!」
神谷は声を荒げた。
「馬鹿な真似をした兄貴も、呆気なく殺された君の父親も。…娘である君にも。みんな腹が立って許せない」
私はそんな彼を黙って見つめることしかできなかった。
なぜ、神谷はそこまで私に執着するのか。訳が分からなかった。
自分だったら人を殺めたお兄さんだけを恨む。なぜこんなことをしたんだ、人殺しは駄目だ、私たちまで巻き込むのか?と罵倒し、責めるだろう。
だけど神谷の中では兄を責めるだけでは足りないのかもしれない。事件が起きたきっかけや、過程、被害者までがすべて恨むべき対象なのだ。
悪くないのは自分と母親だけ。
目の当たりにしている現実だけを見て、自分たち以外が悲しんでいても関係ないと思っている。今回の事件の被害者は、世間の目に追い込まれた自分達なのだ、と。
父を失った私が神谷の考え方をおかしいと思うのは当たり前だった。どうしても納得できない思いはあった。だけど、今の神谷には何を言っても届かない声だと思った。
神谷は周りが見えていない。正しい考えが出来てない。その結果、私にあんな嫌がらせをしたのだ。何を言っても無駄だと判断した。
だけど私が黙ったままでも、彼の暴走は止まらなかった。