帰り道、きみの近くに誰かいる
※ ※ ※
あの日の事件から逃げ続けていた。
体の内側に入れたくない真実。
耳を塞ごうと必死だった真相を知らなければいけない状況に追い込まれた。
まさかこんな流れで。
カッターの刃先の輝きが頭の中から離れない。
あれから神谷とは電話番号の連絡先を交換した。そして神谷とは切りたくても切れない繋がりを持ってしまった。
神谷と別れ、家に着く。気持ち的にどっと疲れがやってきて、自分の部屋に入った私はベットに倒れ込みむと深い眠りに入った。
目を覚ますと、さっきまで明るい世界が真っ暗な世界に変わっていた。いつのまにか夜になっている。時計を見ると19時。こんな時間まで寝てしまっていた。
何気なく携帯を開くとそこには2回の不在着信の履歴と一通のメッセージが届いていた。
どれも先輩からだった。
《大丈夫?ちゃんと帰れた?》
先輩に何も言わずに早退していた。一緒に帰る約束をしたのに。きっと心配かけてしまったに違いない。
何も連絡を入れてなかったのに、先輩は自分のことを心配してくれていた。それがメッセージから読み取れた。
慌てて先輩に電話をかけた。
数回機械音が鳴り、相手は早めに出た。
『莉子ちゃん?大丈夫?』
「すみません、私、早退したんです。何も連絡入れてなくてすみません」
『大丈夫だよ。でもよかった。何かあったのかと思って心配した』
安心したのか、電話先から小さな溜息が聞こえてきた。
『早退したって…体調大丈夫?』
「大丈夫です、ゆっくり寝て復活しましたから」
『そっか、何かあったら言ってね』
先輩に、今日のことをすべて話したくなる。彼の声にはそんな安心感がある。躊躇うように黙っていると彼が言った。
『さっき図書館から出て帰ろうとしたところなんだ。近くだから、もし良ければ行ったらだめかな?莉子ちゃん家』
突然のことに、えっと声を漏らす。
『というか、今ちょっと近くまで来たんだけど』
携帯電話を耳に当てたまま、片方の手で部屋の窓を慌てて開ける。住宅街の奥から、暗闇の道を歩きこっちに向かっている人影が見えた。
先輩だ。私は「見えました」と手を振った。先輩もこっちに向かって手を振ってきた。
姿が見えた状態で「少しだけど会える?」と電話口から声が聞こえる。
私は少し考えた。外はもう真っ暗だ。話したいけど家に入ってもらう訳にはいかない。だけど、玄関から数メール離れた家の門には明かりが灯されている。そこなら大丈夫だと思った。
「門のところまでなら、大丈夫だと思います」
家の前まで着いた先輩がこっちを見て微笑みながら頷いている。
くしゃっとした笑顔。思わず私も微笑む。
私は慌てて窓を閉めると部屋から出た。階段を降りると真っ暗な一階が静まり返っている。どこの部屋にも電気がついてないため、母はまだ仕事から帰ってきてないのだと思った。
冷たい廊下を通り、玄関に出た。そこには家の門に立っている先輩がいる。私はゆっくりと歩いて先輩の方に向かった。
「大丈夫?怖くない?」
暗闇の中で一つの灯りだけで照らされているその場を見渡しながら、先輩は心配をしていた。
私は首を横に振った。
何も怖くない。
「これだけ明るいなら大丈夫です。玄関までだったら。先輩もいるし」
先輩がいるから、なんて言い過ぎた。
変に思われたかな。言ったそばから深い意味で捉えられたらどうしようと思ったが、それほど彼は気にしてないようだった。
それよりも安心してくれた。先輩はよかった、と笑うと白い息を零した。
「先輩、寒くないですか?」
「俺は大丈夫。それより莉子ちゃんは寒くない?体調悪かったでしょ?」
「私は大丈夫です」
「よかった、俺は全然平気だから」
先輩は鞄からマフラーを取り出した。そのマフラーを私の首に回す。
落ち着く暖かさを感じた。先輩の匂いがして、思わず照れた私は気づかれないように顔を俯いて、先輩に礼を言った。
「それよりも話したかったから、莉子ちゃんと。今日、何かあった?」
「え?」
「声が元気がなかったから。何かあったんだろうと思って来た」
先輩は心配してくれていた。今日、私の身に何かがあったんだと、すべて気づいているような言い方だった。大丈夫なふりをしていたのに。体調も大丈夫って言ったのに。なぜ気付かれるのだろう。
何も言えずにただ黙る私を見て、先輩は確信をついているかもしれない。私も、彼にもう何も隠すことはできないと分かっていた。誤魔化すようなことはしなかった。目を伏せて、先輩から顔を逸らす。精一杯の抵抗だった。
「先輩はこの前、帰りの電車の中で言ってましたよね。問題を見つけたなら、あとは答えを出すだけって」
「言ったよ、簡単なことではないけどね」
「そのためには必ずしも過去と向き合わなければいけないでしょうか。避けては通れないことでしょうか」
先輩は黙ったまま私を見つめる。
目を逸らさなかった。
「きっと莉子ちゃんは過去と向き合いたいんだね」
先輩のその一言で、全て見破られた気がした。
「きっと、そうです。逃げ続けているばかりでしたから。そんな私に嫌気が差しました」
「じゃあ、俺に何でも言ってみて」
先輩は一つの提案をしてきた。
「自分が逃げていた過去も、自分が消し去ろうとしていた記憶も、悲しい気持ちも俺にぶつけてきて。自分自身と向き合うような気分で何でも話してくれたらいい」
過去を話してもいいのだろうか。
何があったか、言葉にしてもいいのだろうか。
彼の提案に少し戸惑う。
「言えることでいい。言いたいことだけでいいんだ。何でも俺は聞くから」
そんな先輩の言葉に私は顔をあげた。今思っている気持ちを、言えることだけでいい。当たり前のことだけど難しいこと。それに気づけたということだけで、今の自分には充分だ。
不思議なことにそれを誰かに聞いてもらいたいって思える。その相手は先輩がいい。言葉にして、自分自身にも聞かせたい。
「聞いてもらえますか?」
私に返事をする代わりに、先輩は微笑んで頷く。
私は何から話そうか考えた。昔、何があったのか。それによってどんな気持ちなのか。そしてこれからどうしていきたいのか。自分のことを探るような気持ちで考えた。
まず思い浮かんだのは父だった。
最後に話したのは花火大会の日。それから3年間経ったけど、父は家に帰ってこない。
自分では認めたくなかった事実。時間がかかっても受け入れていきたいと思ってる。
そう、その事実を受け入れたいんだ、私。
ゆっくりと口を開き、先輩に向かって言った。