帰り道、きみの近くに誰かいる
◇ ◆ ◇
あの日、莉子と一緒に夜空を見上げた日。
彼女は「綺麗」と呟いた。
彼女と同じように見上げるとそこには無数の星が見えた。こんなふうにゆっくりと眺めることは久々だった。
必死に前ばかり見ていた毎日。
そうか、たまには楽して上を見上げてもいいのか。
そう思えた。
彼女は父を失って、その理由を『自分のせい』と言い、過去を後悔していた。そして夜が歩けないと嘆いていた彼女が、夜空を綺麗と言った。
その横顔を見て、思わず泣きそうになった。なぜ泣きそうになったのかは自分でも分からない。
今頃、彼女は母親と向き合い、事件と向き合っている。
そして彼女は過去と向き合うことになる。
もし、彼女が夜道を歩けるようになったら、その近くには誰がいるのだろう。
その隣には果たして自分がいるのだろうか。
そんな未来がくるとは分からないが、そうなると良いなと思った。
彼女を助けるのは自分でありたいと思った。
ーー莉子と話をした夜を過ぎて、週末を迎えた。
莉子から連絡が来ることはなかった。無事に話すことができただろうか。彼女から何も聞くことは出来なかった。
※ ※ ※
次の週に入り、月曜日の1日を終えて放課後を迎えた。莉子の教室に行くと、彼女の姿はなかった。彼女と同じクラスメイトの子に、今日は休みで学校に来ていないと聞かされた。
「廉くん」
遠くから名前を呼ばれ、雅が走ってくるのが見えた。
「今日はどうしたの?また西野さん?」
雅は少し不機嫌そうに言う。
「そうそう。でも今日は休みだったんだね」
「うん。てか、廉くんに話があるの」
誰にも聞かれたくない話か、雅に手招きされ、廊下に2人で出た。人が何人か行き交うが、誰も自分たちの話を聞こうとする人達はいない。だけど雅は慎重に小声で話し始めた。
「ちょっと、最近おかしい人に話しかけられて」
「おかしい人?」
「それがさ、全く知らない人だったんだけど、違うクラスの男に話しかけられて。出身は成城中学校?って聞かれたの。誰?と思って『そうだけど、何で?』って聞いたら、3年前に隣町で起きた暴力事件について知ってる人はいないかって聞かれて。」
体の中で何かが震え、緊張が走った。
「3年前の事件って…廉くん、あのことだよね?」
雅が怪訝そうな顔で、廉の様子を伺う。
雅は昔からの幼馴染で住むところも近所でもある。廉の過去に何があったのか、よく知っていた。だからこそ、雅は心配をしていた。
「雅。ごめん、話しかけられた生徒って誰か分かる?何組の人?」
「ごめん、そこまで聞いてないの。名前も分からない。だけど顔は覚えている。…ねえ、廉くん。大丈夫?あの事件のことを知ってる人がこの学校にいた。詳しく知りたいって…どういうことだろう」
廉は確信した。少し、前に莉子から話を聞いていた内容を思い出していた。あの事件について調べている人。
「雅、その男、どんな人だった?教えてくれる」
廉はその日、未知の出来事が起こりうると覚悟を決めていた。
そしてその晩、莉子に電話をかけた。最近、彼女は体調を崩している。この前の時も早退していた。だから心配だった。
しばらく機械音が鳴り響いていた。すぐには出てくれなかった。粘っていると、時間をかけて彼女がやっと電話に出てくれた。
「莉子ちゃん。今、大丈夫?」
「もしもし、大丈夫です」
「よかった、今日休みだったし一緒に帰れなかったから話したくて。体調は大丈夫?」
彼女の声はいつもよりも弱々しく感じた。
「体調は大丈夫です」
「そっか、よかった」
やはり、少し疲れているように思う。大丈夫と言われたらそれ以上は何も言えない。会話がいつもより弾まなかった。
「…話ってなんですか?」
彼女から問われて、少し黙って考える。
体調の心配もあって連絡をしたが、本当は声が聞きたかった。それは本人には言えなかった。
彼女の声を聞くと安心する自分がいる。それも言ったら引かれそうだから、口を噤んだ。
言い淀んでいる廉の返事を待たず、莉子は続けて言った。
「先輩、私の方も話があるんです」
莉子の声は低く、元気がなかった。
「もう、先輩と一緒に帰れません」
そう、冷たく言い放たれて、廉はすぐに返事をすることができなかった。