帰り道、きみの近くに誰かいる

なぜ、神谷はここまで私に執着するのだろう。

「本当は何もかも知っていて、話してくれない理由があるのか?」

ぐっと、喉が締め付けられる。
決して、先輩のことは神谷には話していけないと思った。

戸惑う表情を決して神谷に見せてはいけない。
私は神谷から目を逸らし続けた。
すると神谷は呟くように言った。


「母が…また体調を崩して、入院したんだ」


えっと、声を漏らして神谷を見た。


「事件のことをすべて知らないまま、母さえも支えることが出来ない」


その声は弱々しく、途切れそうな声だった。


「君とは仲間だと思っていた。過去に囚われて、前に進もうと必死にもがき続けている。俺も、君も。なのに、君はなぜそんなに関わらないようにしているのか?加害者の弟である俺にさえ、避けようとしている。何故、そこまで無関心でいれるのか?俺には分からない」


少し離れた距離でも、神谷の体が震えているのが分かった。


「無関心ではないの。私だって知りたいという気持ちがあった。だけど怖かった、すべてを知ることで私自身がどんな心境の変化になるのか…」


傷つきたくなかった。逃げたかった。忘れたかった。
痛みから逃れようとすることがそんなにも間違ったことなのだろうか。


神谷は私の言葉に、首を振る。


「そもそも違ったのか。君と俺は。過去に対しての解決策が。逃げは弱みだ。だから母も逃げようとして弱まってしまったんだ。俺にも事件に関わらせないようにして、必死に忘れようとして、体を壊した。逃げることに、何も意味はない。痛みは残り続けるだけなのに」


神谷は必死に自分の母親を守ろうとした。自分の痛みよりも、母に対する想いが強いのか。


「だから…君を見てると、自分の母を見ているみたいで、イライラするんだよ…」


神谷は途切れそうな声で、片手をズボンのポケットに手を入れた。何か物が入っているように見える。それを掴んで自分を落ち着かせているようにも見えた。


私はふと、あの光景が浮かんだ。
初めて神谷と出会った日、2人きりの公園で、神谷が私に向かって突き出してきたもの。

カッターだ。


「ねぇ、まだ待ってるの?」

「…何が?」

「ポケットの中だよ。そこに入っているの、カッターでしょ?」


神谷はポケットの中に手を突っ込んだまま、私を見た。彼から目を逸らさず、さっきよりも声を強くした。


「ねぇ、それを待ってどうする気?そんな危ないものを持って…誰かに突き出して、そんなの…」

『あなたのお兄さんがしたことと一緒じゃない』

そう言いかけた口を閉じた。
そんな私に気づいたか気づいてないのか分からないけど、神谷はふっと小さく笑みを零した。


「こんな物を持つことしか自分を守れないなんて、俺は兄貴と一緒だ。全然変わらないな」


そう言った神谷の背後に視線を送る。
玄関の外に広がる世界はさっきよりも色付きが変わっていた。暑く燃えるように紅い空が覆い被さるように迫ってきていた。いつもより空が低く、身近に感じる。

玄関の中に差し込んでいた光もいつのまにか見失い、神谷の表情が刻々と暗みを生み出していく。

近くに備え付けられた時計を見た。もう16時30分をとうに過ぎている。もう学校を出なければいけない。



間に合わなくなる。



「もう…帰る。帰らせて」


神谷の立っているすぐ近くに置かれてる自分の靴を取り出そうとして近づく。

靴に手を伸ばそうとした瞬間、咄嗟にその腕を神谷は掴んできた。


「…逃げるのか?まだ話は終わっていない」

腕にぐっと力が加わり、顔をしかめた。


「お願い…帰らせて。早く帰らないといけないの。もう外が暗くなる…!」


外の世界の色が変わることなど、神谷には大して気にすることでもなさそうだった。焦りを感じているのは私だけだ。

「お願い。もう離して。帰らせて。お願いだから!」


力強く離れようとしたけど、男の力には敵わなかった。無駄な抵抗とはこのような事なのだと思い知らされる。

何度も離れようと必死に腕を振り払おうとした。



その時だった。




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