帰り道、きみの近くに誰かいる
※ ※ ※
入院して数日、やっと自分で体を起き上げれるようになって読書やテレビを見る余裕が出来た頃、意外なお客さんがお見舞いに来た。
同じクラスメイトの女子、桑田さんだった。
学校側には通り魔事件の被害に遭ったことは伏せてもらっていたが、噂などでみんなに大体知れ渡っていた。
だけどお見舞いに来てくれるほどの友人もいないし、誰も来ることはないと思ってたから、その人物が来た時は呆気に取られた。
「勘違いしないでね、廉くんに頼まれたの、だから来たから」
相変わらずの強気な口調で一言添えながら渡してきたものは病院近くにある人気店のお菓子の包み。そして丁寧に書いてまとめた授業の内容のノートだった。
態度とは裏腹に、心優しい対応だった。
先輩、桑田さんに頼んでくれたんだ。
もらったお菓子を2人で分けながら、沈黙を挟みつつ話し始めた。
「私さ、最初あなたのこと嫌いだった」
桑田さんは大きくため息をつけながら、片手に持ったクッキーを口に入れる。
嫌われていることは知っていたし、驚きもしなかった。だけど過去形の話し方であるため、そっちの方に驚く。
「廉くんの病気のこと、幼なじみである私だけが知ってる優越感。廉くんの苦しみに対してそんな感情があった。本当に失礼なことだと思うけど、自分だけが廉くんのことを知っていることが特別に感じてた。だけど廉くんはあなたに引き寄せられるように近づいていた。悔しかったのよ、何も知らないあなたが、私よりも廉くんのことを分かってあげられることが。それと同時に私には無理なんだなって思った。完全に諦めた」
喋り終えて、また二口目を頬張る。そこで沈黙が流れた。
諦めた、と彼女は言っていたが、何に諦めたのかはハッキリ言わなかった。
桑田さんは先輩に恋心を抱いていたのかもしれないし、幼馴染までの想いだったのかもしれない。
それはどちらとも言えないが、「完全に」と言い切っているあたり、彼女自身がすべてを終わらせたのだ。
人の心は、結局、言葉にしないと分からない。
私は何も返事が出来なかったから片手に持ったクッキーを食べようとした。
だけど次に聞こえた桑田さんの言葉に、食べるタイミングを完全に逃してしまった。
「ねえ、知ってる?西野さん、いつも家に送ってもらってたみたいだけど、廉くんの家からすごい遠回りなのよ?」
目を見開いて桑田さんを見る。
「私の家の近くの図書館から近いって…だから図書館に通って勉強してるって」
「あー、やっぱり。知らなかったんだ。私と廉くん、同じ地元だけど違う駅で降りるの見たことあるからおかしいと思ってたのよ」
ーーあなたを送り届けるために遠回りしたのよ。
その言葉が信じられなかった。後から知る事実は、胸を苦しくさせた。
「だから諦められたのよね、廉くんがそこまで西野さんのことを気にかけてたから」
喉が震えて泣きそうになるのを我慢するため、勢いよくクッキーを食べた。
美味しい。
口に広がる甘みが、私の気持ちを落ち着かせた。
「あと、神谷って男、転校したの。知ってる?」
「え?神谷くん…転校したの?」
「そう、廉くんが言ってた。廉くん、あれから彼と話したみたいだよ。あなたが病院に運ばれた日、容態が安定したのを知ってからそのあと直接会いに行って事件のことを話したらしい。まだその時は声が出てたみたいだから。もうそれから神谷が私に話しかけてくることもないし、廉くんにも何も関わってこなくなったって」
ちゃんと話をしていた。先輩は神谷ともちゃんと向き合ってくれていた。事件のことをお互いにどんな会話をしたかは分からないけど、手紙の内容の通り、真摯に向き合い対応をしたのだろうと思う。
どこにもぶつけられない苦しみを持った神谷にとって、先輩と話すことで解決するものがあったのだろうか。
それは神谷本人から聞かないと分からない。
だけど、以前ほどしつこく携帯の着信履歴は入ってない。そして一通のメッセージだけが残っていた。
《話をした。すべては分からないけど、もう疲れたから諦める》
その文章を見て、もう全てを終わらせようとしているのだと感じた。諦めるという文字に、終わりが見えたようだった。
秋の季節になると、高校三年生の人たちは本格的な受験シーズンに入り、自由登校の生徒が増えていく。
先輩は成績優秀で国公立の大学の指定校は確実に取れるらしい。勉強は続けているが学校に行く機会は少なくほぼ自宅学習をしている。
だから先輩が声が出ないことは周りに知られていなかった。
声が出ない状態での学校生活をどう過ごしているのか心配していた為、それを聞いて少し安心した。
「はぁ、とりあえずこれで全部話し終えたかな。またあした、学校だから。そろそろ帰るね」
桑田さんは背筋を伸ばしながら立ち上がる。
外はもう暗く、電灯で照らされた街が窓から見える。
「なんか、また明日、って良いね」
私の一言に、桑田さんは怪訝な声を出す。
「なにそれ、何、感傷に耽ってるの」
「生きてるんだなぁって改めて思って。こんなところ深く刺されたのに」
自分の脇腹を見る。相変わらず痛々しく包帯を巻かれているけど。生きている。
「よかったね。とりあえずまた明日授業のノートとるから。また」
冷淡だけど嫌味を感じさせない態度で桑田さんは病室から出ようとした。
そんな彼女に「ありがとう」とお礼を言う。
彼女とは初めて会話した時より、だいぶ違和感なく話せるようになった気がした。
※ ※ ※
桑田さんが帰った後、母が来てくれた。
「ちょうどさっき、そこで出会ったんだけど帰られちゃった。寝てる時だったら申し訳ないからって。ゆっくり休んでくださいって」
お見舞いに来てくれた人に病室の前で偶然会ったらしく、その人から預かったものを出してきた。
「ニキとお月様」の絵本シリーズだ。
紙袋にお菓子と一緒に入っていた。誰が持ってきてくれたのかはすぐ分かった。
「莉子、正さんと知り合いだったの?」
母に尋ねられて頷いた。
「一度、正さんの展示会に行ったことがあるの。先輩と。お母さんは知ってるの?」
「うん、昔お父さんの事件があった時に一度だけ話した。清宮廉くんと、正さんと、カウンセラーの人と。事件の時も彼は失声症で話せなかったから、正さんが間に入って話した。親代わりで彼を育てた人だからね」
そうか。そういうことだったのか。だから、あの時、展示会で。
『あなたのお父さんのことを知っています』
そう言われたのか。そんな会話もあり、あの時はゆっくりと話せなかった。だけど、この絵本をわざわざ持ってきてくださった。
「あと、さっき、正さんから聞いたんだけど、」
母が先輩の話題を持ち出した瞬間。
喉がひゅっと鳴った。胸が苦しくなる。
「清宮くん、国立大学にほぼ決まったって。教育学部に入るらしいよ。…教師を目指してるんですって」
母が優しく微笑んでそう言った。その瞬間、目の奥が熱くなった。
「教師…?」
「そう、お父さんと同じ道」
もう一度、手元にある絵本を開いて見た。
先輩が小さい頃、この絵本を読んで「お月様になりたい」と言っていたエピソードを思い出す。
駄目だった、我慢をしていたのに。
ぐっと、こらえていた感情が一気に目から溢れ出した。うう、と声を出した。
先輩に会いたい。先輩と話したい。
あなたなら、きっと教師になれる。
きっと誰かの、お月様になれる。
私にとってのお月様が、先輩だった。
いつまでも、ずっと。これからも、きっと。
母の目の前で声を出して泣いた。その涙はしばらく止まらなかった。
また貴方に会えますように。お月様に会いたかったニキの切ない気持ちが分かったような気がした。
また、君に会えたら、
どんなことを話そうか。
また君に会えたら。
私は絵本を大事に抱えて、強く願った。