オスの家政夫、拾いました。3. 料理のガキ編
若者なら誰しも「留学」という言葉には憧れるものだ。彩響も大学時代、外国で勉強したいと思ったことがあったけど、どうしてもお金の問題を解決できず諦めざるを得なかった。しかし学校の推薦で行くならそういう部分では大分余裕があるはずだ。羨ましい気持ちを抱いたまま、彩響が再び聞いた。

「あの、それはとても素晴らしいことかと思いますが…なぜそのことを皆さんが私に言うんですか?」

「それが…本人が行かないって言ってるんだよな」


今度は河原塚さんが代わりに返事をする。行かないって、どういうこと?彩響の顔を見た河原塚さんはお水を一口飲んで話を続けた。


「せっかくのいい機会なのに、本人はどうしても行きたくないって意地はってるから。もしかしてあんたなら話通じるかと思って」

「私が?いや、別に私はー」


ここまで言って、彩響は一瞬話を止めた。自意識過剰って笑われるかもしれないけど、いや、もしかしたら…恐る恐る彩響が質問した。


「もしかして…それ、私のせいですか?」

「さあ、どうでしょう。本人からなにも聞いてませんので、なんとも言えません。ですから、『せい』とか言わないでください。峯野さんが悪いことしたわけでもないのに」


今瀬さんが優しく答える。しかし、その言葉にますます気になり始める。深刻な顔で全員の顔を見ていると、彼らも皆真剣な顔をしていることに気づいた。重い空気の中、今瀬さんの話が続く。


「林渡はこの仕事を始めた頃から、ずっとフランスに行きたいと言ってました。なのに、いざそういうチャンスが来たのに拒むのが気になって、一回聞いてみたんです。したら、『どうしても今の仕事を辞めたくない』と。なぜ仕事を辞めたくないのか、理由までは教えてくれなかったので、やはりここは峯野さんが一回話をしてみたらいかがでしょう。相手が峯野さんなら、素直になるかもしれません。」


こんなに仲良しの皆にも言ってないことを、自分に言うのかが疑問ではあるがーそれでも、話を聞いてしまった以上、黙ってはいられない。彩響は肯定の意味で頷いた。

「分かりました。私から聞いてみます」
「よし、これで一安心!まあ、そんな深刻になるなって!あいつのことだから、きっと大した悩みでもないはずだって!な、寛一?」

沈んだ空気を変えようとするかのように、河原塚さんが三和さんの肩をパンと叩く。いきなり叩かれた彼は何かを言おうとしたけど、周りの視線を感じしぶしぶ同意した。

「え?ああ、まあ…はい、そうだと思います。」

「でしょう?心配ない、心配ない!なんか分かったら俺たちにも教えてくれよ!」

「ええ…」


一旦こう答えたものの、彩響は動揺する気持ちを落ち着かせることができなかった。皆の前では平然を装っていたけど、今は一瞬でも早く家に帰りたい、早く帰って林渡くんと話をしたいーそういうそわそわする気持ちでいっぱいだった。


皆と別れ家に帰ってきた彩響は、そのまま自分のではないもう一つの部屋に入った。まだ部屋の主は帰ってきていない。綺麗に片付いている部屋の中、机の上においてある何冊かの本が目に入った。タイトルはすべて留学に関するものばかりで、彩響は今日聞いた話が嘘ではないと分かった。その中の一冊を手にし、軽く捲ってみると、あちらこちらに筆跡が残っている。結構具体的に計画が書いてあるそのメモたちから、彼がどれだけ留学のことを真剣に考えていたのか伝わってきた。


「ここまで準備しておいて、どうして…」

「ーなにしてるの?」


振り向くと、林渡くんがこっちを見ていた。慌てて手に持っていたものを戻そうとしても、もう遅い。こうなった以上、単刀直入に聞いてみるしかない。彩響は本をもとの場所へ戻し、質問した。


「留学の話、どうして黙っていたの?」


その質問に、林渡くんが長い溜息をつく。もう隠せないと気づいたのか、彼はそのままベッドの上に腰を下ろした。


「誰が言った?うちの兄貴?まだ連絡取ってたの?」

「いや、今回は家政夫の皆さんが教えてくれた」

「全く、余計なことを…」


林渡くんが長い溜息をつく。やはり、留学の話は本当だったらしい。彩響は林渡くんの方へ一歩近づき、話を続けた。


「いい機会なのに、どうして悩んでるの?喜んで行くべきでしょう」

「それは…そうだけど」

「家政夫になる前からずっと望んでいたと聞いたよ。まだ間に合うなら、早く学校に連絡して手続きして」


彩響の言葉にも、林渡くんはなにも言わず、ただ床を見下ろす。気まずい空気が流れる中、彩響は恐る恐る質問した。


「あのさ、聞くか聞かないか凄い悩むけど、それでも聞くよ」

「……」

「仕事辞めたくない理由は、私とー」


「離れたくないから?」と、ストレートに聞くのが恥ずかしい。言葉を最後まで言えず取り繕うと、林渡くんがぱっと顔を上げた。そして彩響の目を真っ直ぐ見て、こう聞いた。


「彩響ちゃんは、一人でも大丈夫なの?」

「…」

―「一人でも大丈夫なの?」


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