世界が私を消していく


「宮里」

時枝くんが私に話しかけようとすると、事情を説明していた男子が「やめとけって」と止めた。


教室に普段以上にピリついた空気が流れる中、廊下から「時枝くん」と女子の声がした。


「ちょっといいかな?」

頬を染めている様子から、周囲の男子たちが察したらしくニヤニヤとしながら、時枝くんを小突いている。

先ほどまでの雰囲気が嘘のように、バレンタインの浮ついた空気が教室を包んだ。
時枝くんはちらりと私を見た後、呼び出してきた女子の方へと向かって歩いてく。


……きっとあの子は、時枝くんにチョコレートをあげるんだ。

それができる彼女のことが羨ましくて、醜い感情が心を焦げつかせる。

少し前なら、私もあの子のように時枝くんにチョコレートを渡せたかもしれないのに。私もあの子みたいに渡したかった。

チョコレートなんて持ってくるんじゃなかった。こんな状況で渡せるわけがないって、本当はわかっていたはずなのに。


数分後、スマホにメッセージが届いた。
最近は使わなくなっていた四人のトークルームの通知で真衣からだった。

【もう口もききたくないから、メッセージにする。今英里奈から一条くんのこと謝罪されて、最近のことも聞いた】

心臓の鼓動が迫りくるように次第に大きくなり、手に汗を握る。

【紗弥があんなこと書くわけないって英里奈は信じてて、紗弥と連絡取ってたんでしょ。なのに紗弥にしか話してない内容が投稿されてたって】

〝だけど、本当に私じゃない〟と打っている途中で、真衣から追加でメッセージがくる。

【裏垢の内容全部見たけど、紗弥は一条くんとこっそり連絡とってたんでしょ。自分のこと好きってわかってて、あんな風に裏で私のこと笑ってたんだね】
【一条くんとはほとんど話したこともないよ! それに裏垢だって私じゃない!】
【嘘つき。言い訳は聞きたくない。本気で紗弥のこと信じられなくなった】


——小坂真衣が退出しました。


四人で作ったグループのトークルームから、真衣の退出を報せる通知が表示される。
続いて由絵と英里奈が退出していく。


灰色の『退出しました』という言葉を見つめながら、トークルームに取り残された私は「待って、違うよ。私じゃないよ」と震える指先で打つ。


けれど、当然既読にはならない。

トークルームには私ひとり。

同じ教室の中にいるのに、みんなが遠く感じる。

一度退出したら、今までの会話も、共有した画像や動画も見れなくなってしまう。


真衣たちは楽しかった思い出を全て切り捨てても構わないと思うほど、私との関係を終わらせたかったのだ。


だけど私は、ひとりになってもトークルームから退出することができない。

俯きながら見ていたスマホの画面に、ぽたりと滴が落ちる。

胃のあたりがじくじくと痛み、呼吸をすることが苦しい。教室にいたくない。逃げてしまいたい。


あんなに毎日SNSを見たり投稿をしたり、友達と連絡を取り合うために欠かせないものだったのに、今ではスマホに触れることすら怖い。

私はカバンを手に取って、中にスマホをねじ込もうとしたところで、ラッピングされたふたつの箱が目に入った。どちらももうあげることは叶わない。


顔を上げると、教卓の側で真衣たち三人が内緒話をするように集まっている。


——嘘つき。

真衣に言われた言葉が頭に過ぎった。

きっと私のことを話している。これ以上傷つきたいくない。なにも聞きたくない。

周囲の視線を感じながら、逃げるように教室を出る。カバンを胸に抱えて、行くあてもないまま私は歩く速度を上げていく。


その途中で未羽を見つけて、思わず足を止めた。


「……未羽」
廊下の隅の方で友達と談笑していた未羽は、目が合うと笑みを消して固まってしまう。そして気まずそうに目を逸らされた。


——未羽も私のなりすましが本物だって思ってるんだ。

そう確信して、私は階段を駆け下りていく。

付き合いの長い未羽にすら信じてもらえない。

私はこんなにも脆くて、薄い関係しか築けてこなかったのだ。

一度は止まった涙が再び溢れ出てくる。大事にしていた未羽との友情は、いとも簡単に吹き飛ばされてしまうほど軽かった。


頬の内側を噛みしめて血が滲んでいく。けれど痛みよりも、今は精神的な苦しさと悔しさの方が強かった。

私じゃないよ。あんなこと書いてない。別の誰かが私のフリをしてる。言いたい言葉はたくさんあるのに、どれも届かずに心の中で死んでいく。

死んだ言葉は足元で踏まれて泥のように底に溜まって、私をつま先から飲み込もうとする。



「待って、宮里!」




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