世界が私を消していく
透明な球形の容器の中に、桜の木の小型模型が入っている。
手のひらに乗るほどの大きさで、まるでスノードームのようだけど、雪ではなく雨が降っている。
「ああ……それは、レインドームですよ」
巫女さんはレインドームを持ち上げて、目の前で見せてくれた。
「一点もので、水の神様の想いが込められていると言われています」
雨が降る置き物は初めて見るので、まじまじと観察する。水が溜まる様子はなく、不思議な作りをしているようだった。
「水の神様が愛した、桜の木の物語はご存知ですか」
「それって恋物語のやつですか?」
巫女さんが微笑みを浮かべて頷いた。
私はおばあちゃんから聞いた物語を思い出しながら、覚えている内容を口にする。
「昔に聞いたので曖昧ですけど、参拝しにくる人たちは願い事をするのに、ひとりの少女だけは願うことなく帰るから神様が気になり声をかける、って話ですよね?」
「ええ。ある日、神様は姿を現して〝願いがないのに何故ここへくるのか〟と問いかけ、少女は突然のことに驚きながらも、こう答えます」
——この土地を守ってくださる神様に感謝を伝えたいのです。
「神様は少女に興味を惹かれ、少女が訪れるたびに姿を見せました。それからふたりは長い年月を共に過ごし、たくさんの言葉を交わしたそうです」
ですが……と巫女さんが目を伏せる。
「神様とは異なり、人には寿命があります。そのことに嘆き悲しんだ神様を見た彼女は、自分の名前が入った木を神社に植えてほしいと言いました」
——そして、春がきたら花を咲かせに会いにくる。だから私を桜の精にしてほしい。
「彼女が初めて神様に願ったことでした」
参道を囲むように桜の木があり、春になると薄紅色の花が絨毯のようになる。それは彼女の願いから生まれた風景なのだと知り、感慨深くなる。
「神様は春が来ると彼女を想い、涙を雨粒としてこの地に降らせました。その涙によって桜の花は咲き誇り、彼女は桜の精霊として神様元へ訪れるようになりました。というのがこの神社に伝わる、水の神様が愛した桜の木の物語です」
「なんだか、ロマンチックですね」
水の神様と、愛した桜の木。そこから連想して作られたのがこのレインドームのようだ。
「水の神様の涙には彼女の願いを叶えたいという想いが込められているとも言われているので、このレインドームにも願いを叶える力があると言われているんですよ」
願いが本当に叶うことはないだろうけれど、おばあちゃんがいた頃にこれが売っていたら喜んで購入していそうだ。
「すみません、長々と話しすぎましたね」
申し訳なさそうにしている巫女さんに、私は首を横に振る。
「そんなことないです! 楽しい話をありがとうございました」
久しぶりに聞いた水の神様の恋物語は、所々忘れていた箇所もあって新鮮な気持ちで聞けた。それに現実逃避ができて、沈んでいた気分が少しだけ落ち着く。
「あの、そのレインドームと桜の髪留めをひとつください」
一点ものというレインドームを今買わなかったらもう二度と巡り合えない気がした。それとおばあちゃんが身につけていたものと同じ髪留めも一緒に購入する。
巫女さんは商品を丁寧に梱包して、手提げ袋に入れてくれた。
「願いにきっとこたえてくれますよ」
袋を受け取り、私は苦笑する。こういった迷信をあまり信じない方だ。けれど今の状況だと、神様に縋りたい気持ちもある。
巫女さんは丁寧にお辞儀をして、ガラス戸を閉めた。