世界が私を消していく
家に帰ると、お母さんは夕飯の買い物に行っているようだった。
誰もいないリビングに電話の音が鳴り響いていて、私は慌てて受話器を取った。
「……はい」
『宮里さんのお宅でしょうか』
聞き覚えのある男の人の声に、びくりと肩が跳ねた。
「せ、んせい」
一呼吸置いてから、『宮里か?』と問われる。どうやら今日早退したことに関して、担任が電話をしてきたようだった。
「あの、すみません。……具合が悪くて」
私が言い訳のような言葉を並べながら話していると、先生は怒る様子もなく、ただ優しく相槌を打ってくれる。
『宮里、明日少し話せるか?』
「え……」
『クラスでのことを少し聞いた。一度宮里の話を聞かせてほしい』
担任の先生にまでなりすましの件が伝わってしまったことに、ひやりと水をかけられたような気分になる。
けれど、電話越しに聞こえてくる先生の声は私を非難するようなものではなく、心配してくれているような声音だった。
だけど、先生が間に入ってくれたとしても事態が収まるようにも思えない。むしろ更に火種を生みそうで怖い。
それでも親に変に伝わるのも怖いため、先生からの呼び出しを断るわけにもいかなかった。
「……わかりました」
昼休みに先生と話をする約束をして、電話を切った。
自分の部屋のベッドに寝転びながらレインドームを開けてみる。桜の木に静かに雨が降っていて、眺めていると心が穏やかになっていく。
けれど目を瞑ると、学校の光景が鮮明に思い出された。
『私に絶対嘘つかないでね』
『裏ではずっとこんなこと思ってたんでしょ』
——違う。でも……真衣たちにとっては私が嘘つきだ。
真衣と交わした約束を私は破っていない。だけどもう信用を失ってしまった。
こそこそと陰口を言って鋭い視線を向けてくるクラスメイトたちや、真衣たちがトークルームから退出した通知。そして目を逸らす未羽に、険しい表情をしていた時枝くん。
カバンの中のチョコレートが入った箱は、少し潰れていた。
青いリボンを解いて、包装紙を外すと一口サイズのチョコレートが六つ並んでいる。ナッツやドライフルーツなどが飾りつけられており、私は端からひとつずつ食べていく。
ドライパインとチョコレートの甘みが広がって、後味はほんのりと苦い。
ひとつ、またひとつと口に入れながら、空いている方の手でリボンを握りしめる。
「……っ」
時枝くんに渡したかった。なりすましなんて現れなかったら、あの子みたいに私もこのチョコレートを渡せていたのかな。
好き勝手に横行していく私の嘘の話を止める手段がない。
真実を知っているのはきっと、私となりすましている犯人だけだ。
全部、嘘なのに。どうしたら信じてくれるの。
学校にいる全ての人が敵になったように思えてしまう。
行きたくない。あんな冷たい目で私を見ないで。
あの場所で、これから私はどうやって息をすればいい?
こんな日々が卒業するまで続くのだろうか。そう考えると恐怖に押しつぶされそうになる。
巫女さんが、願いにきっとこたえてくれると言っていたのを思い出し、投げやりな思いで望みを口にする。
「学校の人たちが……私のことなんて忘れちゃえばいいのに」
堪えていた涙が目頭から零れ落ちた。
全てがなかったことになったら、どれだけいいだろう。
真衣たちやクラスメイト、裏アカウントに関することを知っている人の記憶から私の存在を消してしまいたい。
楽しかった日々を思い出すと、恋しくて涙が止まらなくなる。あの頃に戻れたらいいのに。
その夜、レインドームに縋りつくように抱きしめながら、私は眠りについた。