世界が私を消していく
珍しく教室には男子生徒がひとりだけ残っている。
頬杖をついていて顔が見えないけれど、座っているのは私の隣の席なので、おそらくあれは時枝くんだ。
私は声をかけることができずに、教室を通過していく。
忘れられた私がいきなり声をかけても会話も続かないだろうし、知らない女子に話しかけられた時枝くんは困るはずだ。
ロッカーを開けて、私にとって大事なビニール傘を手に取ると、違和感に気づく。
綺麗にとめていたはずのビニール傘が、乱暴に巻かれていて一部が盛り上がっている。
「うそ……」
一度しか使ったことがなかった思い出のビニール傘は、何故か骨が一本折れていた。
頭に浮かんだのは、真衣たちの姿。
仲が良かったときに、どうしてビニール傘をいつも使わずにロッカーに入れているのかと聞かれたことがあった。
詳しくは話さなかったけれど、大事なものだからと話したことがある。
学校のロッカーはほとんどの人が鍵をしめておらず、私もそのひとりだった。
……こんなこと、するなんて。
悲しさ以上に怒りが込み上げてくる。たとえ私がSNSに書いたと思っていたとしても、人の物を壊すのは許せない。だけど今更、文句を言うこともできない。
この記憶も、今の彼女達は持っていないのだから。
こんなことになるのなら、家に持って帰ればよかった。
だけど、ロッカーに置いておいたのは——あの約束があったから。
ため息を漏らながら、傘を丁寧に巻き直す。
このビニール傘は、入学したばかりのときに時枝くんがくれたもの。
雨に降られて帰れずに困っていると、一度昇降口を通り過ぎていった時枝くんがコンビニでビニール傘を買って戻ってきてくれたのだ。
翌日に私は時枝くんにお礼を告げて、お金を返そうとするといらないと言われた。
だから私は代わりに約束をした。
『今度、傘を忘れたときは私が貸すね』
四月にかわした約束を、いつか果たす日がくるかもしれない。
そう思って、私はあの日以来ずっと使わずに大事に取っておいたのだ。
だけど、この約束を覚えているのは私だけ。
ロッカーの上の棚に置いていた紺色の折り畳み傘を手に取る。こっちはなにもされていないみたいだ。
チリンと鈴の音が鳴る。そういえばこの折り畳み傘に桜のキーホルダーをつけていたんだった。
時枝くん、まだ教室にいるかな。
窓の外を見れば、しばらくは止まなさそうだった。