世界が私を消していく
朝、スマホのアラームのけたたましい音で目が覚める。
まだ眠たい目を擦りながらアラームを止めると、ディスプレイに浮かび上がったのは俺が記入した今日の予定。
こういう予定を入れているときは、大抵提出物があるときだ。
「先週配られた数学のプリントと……折り畳み傘?」
読み上げてから数秒間考える。
なんで〝折り畳み傘〟という言葉が書いてあるんだ?と疑問に思いながらも、放課後のことを思い出した。
そういえば昨日雨が降ってきて、教室で雨が弱まるのを待っていた。
「でも俺、傘さして帰ってきたよな?」
さしていた傘を思い出してみると、紺色の折り畳みだった。でもそもそも折り畳み傘なんて俺は持っていないはずだ。
「あ……折り畳み傘を貸りたんだった。……あれ、でも誰が貸してくれたんだっけ?」
放課後の教室で、〝誰か〟が声をかけてきたのは思い出した。
傘がないのかと聞かれて、自分は傘が二本あるからと折り畳み傘を貸してくれたんだ。
その人物の顔もはっきりと見たはずなのに、何故か顔にモヤがかかっていて、思い出せない。
『明日にはきっと忘れちゃうから』
その言葉の意味を、今知った。けれどただ意味がわかっただけで、理解はしきれていない。だってこんなのはどう考えたっておかしい。
まるで記憶操作をされたかのように顔だけが見事に思い出せない。
「わけわかんねぇ……」
夢でも見ているのかと頭を抱えていると、乱暴に部屋のドアが開けられた。
「清春! 朝!」
俺の部屋の入り口で、苺ジャムを塗ったパンを咀嚼しながら怒鳴ってくるのはふたつ上の姉だ。パン屑が落ちるから本気でやめてほしい。
「今起きるって〜」
こうして起きるのが遅いと、問答無用でノックをせずに呼びにくる。
「あんたが借りた折り畳み傘、もう乾いてるってよ。てかなに、彼女?」
「違うって」
「ふーん?」
にやにやと詮索するように見られるのが面倒になり、起き上がって部屋のドアを閉める。朝から元気な姉ちゃんは、今は最近彼氏ができたからか特にテンションが高い時期らしい。
「ちょっと! なに反抗期?」
「着替えんの」
「なに今更」とぶつぶつ文句を言いながらも、姉ちゃんが階段を降りていく足音がする。
ひとつだけ収穫があった。やっぱり借りた折り畳み傘は存在している。
そして少しずつ昨日のことを思い出してきた。寝る前に浴室に干して、乾燥機能を使ったのは現実らしい。
違和感があるのは、あの女子の顔だけがわからないという点だけ。
名前を聞いておくべきだったなと今更後悔する。
……いや、聞いたはずだ。
だけど、なんて答えてたのかが思い出せない。
さすがに借りたままにするわけにもいかないのに、顔も名前もわからない相手にどう傘を返したらいいのだろう。