世界が私を消していく
四階から屋上へと続く階段の途中に座り込み、ため息を漏らす。
これでよかったんだ。
自分で最初に願ったことなのだから、これ以上は望んではいけない。
そう自分の心に言い聞かせる。
しばらくここで気持ちを落ち着かせてから、ホームルームが始まる前に戻ろう。そんなことを考えていると、足音が聞こえてきた。
このあたりはひと気がないため、よく響く。
上履きの底が硬い床を叩くような忙しい音が、次第にこちらへと近づいてくる。そのことに私は体を硬らせた。
相手の目的地がここなら場所を譲ったほうがいいのか、そもそも何故走って向かってきているのだろう。などと考えていると、すぐ傍で靴底が擦れて高い音が鳴った。
階段の下に姿を現した人物に私は目を丸くした。
「っ、はぁ……よかった。ここにいた」
肩で息をしながら、膝に手をついている彼におずおずと声をかける。
「……時枝くん?」
どうしてここにきたのかわからず困惑した。それに、今は私を探していたような口ぶりだ。
顔を上げた時枝くんは、この間のような優しい笑顔を私に向けた。
「おはよ、宮里」
私は口元を両手で覆いながら、状況を飲み込もうと必死に考えを巡らせる。
もしかして時枝くんは、私のことを覚えている? 忘れられていると思ったのは勘違いだったのだろうか。
「一昨日話した相手が誰なのか、また忘れててたんだ」
「で、でも今は思い出したの?」
時枝くんは頷くと、階段を上がって近づいてくる。
「すれ違ったとき、宮里がポケットにつけてる桜のやつが見えて、俺が借りた傘についてる桜のキーホルダーと同じだって気づいたたんだ」
どうやら私のブレザーの胸ポケットにつけている桜の髪留めと、折り畳み傘についている桜のキーホルダーが思い出すきっかけになったらしい。
「朝スマホに残しておいたメモを見て、誰かに傘を借りていて、話をしたことは思い出したんだけど、顔と名前がなかなか思い出せなくてさ」
時枝くんが隣に腰を下ろすと、ニッと歯を見せて笑いかけてくる。
「宮里のこと、思い出せてよかった。ごめんな、さっき忘れてて」
私は気にしないでと、首を横に振る。
「思い出してくれて、ありがとう」
やっぱり私は時枝くんに忘れられたくない。
大切な人に名前を呼んでもらえて、覚えていてもらえることが嬉しくて涙を堪えた。