世界が私を消していく


時枝くんにちゃんと謝ろうと思っていたけれど、午後の授業は教室移動が重なり、話すことができなかった。

帰りのホームルームが終わったあとも、時枝くんは私を避けるように、すぐに教室から出て行ってしまう。

私のことを心配して透明現象について真剣に考えてくれていた時枝くんに、本当は忘れられてよかったと思っていると話すなんて、酷いことを言ってしまった。


感情的になって、逃げるように立ち去ってしまったことも謝りたい。

時枝くんに思い出してもらえたことは嬉しかった。

だけどまだなりすまし問題と向き合うことが怖かったんだ。


今の心の迷いも含めて、私の本当の気持ちを時枝くんに話そう。
落ち着かない気持ちで時枝くんを探しながら歩いていくと、階段を下っている男子の後ろ姿に思わず「あ!」と大きな声をあげてしまう。


立ち止まることなく先に進んでいってしまう男子に、私は早歩きで距離を詰めて声をかけた。


「時枝くん!」

振り返った時枝くんは、突然のことに驚いた様子で目をまん丸くしている。


「あの、さっきは……ごめんなさい!」

話したいことは色々と頭に浮かんだものの、うまく言葉にできない。


「あんなこと言っちゃったけど、時枝くんに覚えていてもらえたこと嬉しかった」

時枝くんは訝しげな顔をしながら、小首を傾げる。


「……ごめん、なんの話?」

目の前が真っ白になるほどの衝撃に、私は言葉を失った。

「さっきって、なにかあったっけ? 謝られる覚えがなくて」

あんな風に会話を終わらせてしまったのに、時枝くんが先ほどのことを覚えていないはずがない。

まさか——と嫌な予感がして、冷や汗が背筋に滲む。


「時枝くん、私のこと覚えてる?」

その問いに、時枝くんは戸惑った様子で視線を泳がせる。


「え……」

すぐに答えない彼に、私は確信を持って目を伏せた。
時枝くんの中で、宮里紗弥が消えた。


「あ……、変なこと言ってごめんね」

おそらく不自然になっている笑顔を作る。そして、すぐに私は時枝くんに背を向けて歩いていく。行き先は昇降口ではなく、透明現象が起こってからふたりでよく行った階段。

ひとりで座りながら、膝を抱える。


「どうして」

消えそうな声で呟きながら、涙がスカートにしみを作っていく。


けれど理由はわかりきっていた。


私が望んだからだ。
〝最初から時枝くんに私の存在を忘れられたままの方がよかった〟


一瞬でもそう望んでしまったから、きっとレインドームが反応してしまったんだ。


再び学校の中に私を覚えていてくれる人は誰もいなくなった。


私は本当にこれでよかった?
嫌な視線や噂話から逃れることはできたけれど、同時に大事なものも失った。
今の状況を、私は心から望んでいた?


ぐちゃぐちゃに渦巻いた感情に支配されて、涙で視界が歪んでいく。

なにが正しかったのか、今もまだ心の整理はつかない。けれど時枝くんにもらった言葉や過ごした時間は、私にとって間違いなく大切だった。忘れたいことなんかじゃなかった。


私はなにから間違えたのだろう。


真衣や由絵、英里奈との関係?

なりすましの言葉に対抗できるほど、心を強く保てなかったこと?

いくら私が自分じゃないと声を上げ続けても、言い訳だと思われるはずだ。そうやって諦めて、真衣たちと向き合うことから逃げたかった。


私を信じてくれない人と言葉を交わすのが怖い。この教室の中に私を嫌ってなりすましている人がいる事実から目を背けたかった。

だけど向き合うって、全て綺麗に解決してみんなとの仲を良好にするってことじゃなくてもいいのかもしれない。

私は嫌われるのが怖かった。だけど誰からも好かれるっていうのは、どうしても難しくて、時には理不尽に敵意を向けられることだってあるはずだ。


英里奈が言うように、私の生き方はいい子ぶっているのだろう。


『宮里は、このままでいいの?』

——私、流されることが楽だった。波風立てるのを避けて、自分からなにかを変えようとしてこなかった。


失いたくないものがあるなら、自分の手で守らないとダメだ。


私は服の袖で涙を拭って、階段を駆け下りた。




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