世界が私を消していく
ロッカーでコートを羽織り、急いで校舎を出てから、ふたまたに分かれた道の左へと進んだ。
少しして見えてきた陸上競技場がある公園の側を走って通り抜けていく。
冷たい外気にさらされた耳から首にかけて痛みを感じながらも、額には汗が滲んだ。
一度しか行ったことがない場所へ向かうために必死に足を動かしながら、時枝くんと過ごした放課後を思い出す。
『忘れたくない景色を探しに行こう』
私の忘れたくない景色は、時枝くんと一緒に見た河原での天気雨。
夕焼けや、光っている雨粒は綺麗だったけれど、それ以上に時枝くんが隣にいたから心に刻まれたんだ。
時枝くんは私のことを忘れたくないと言ってくれたのに、私はまた身勝手に記憶が消えることを願ってしまった。
けれどもう誰かの心を、記憶を、言葉を消したくない。
息を切らしながら河原へと辿り着き、私は砂利の上にカバンを放って着ていたコートも脱ぎ捨てるように置いた。
走ったため体が熱い。ブレザーのポケットから出したハンカチで額や首の汗を拭いてから、周囲を見渡す。
あの日飛んでいってしまった折り畳み傘の袋は、もうこの近くにはないかもしれない。それでも私は取り戻したかった。
私と時枝くんを繋いでくれた桜のキーホルダーがついている。
伸びきって欝蒼とした草を掻き分けて、少しでも可能性がある場所を探していく。
キーホルダーが重石となって、そこまで遠くには飛んでいかないのではないかと淡い期待を抱いていたけれど、見当たらない。
犬を散歩している人やランドセルを背負っている小学生たちからの視線を感じる。
変に注目を浴びるようなことを本当はしたくない。けれど、どうしても私はあれを見つけたかった。どうせ無理だと諦めたくない。
「あ!」
川の浅瀬の方を探し始めると、小石に引っかかっている紺色の物体を見つけて手を伸ばす。肌を刺すような冷たい水の感覚に耐えながら、それを掴む。
広げてみると、折り畳み傘の袋ではなくビニール袋のようだった。
がっくりと肩を落とし、その場に座り込みたくなったけれど、暗くなる前に探し出さなければいけない。気持ちを切り替えて、再び辺りを見回す。
小石を踏む音が聞こえて顔上げると、少し離れた位置から険しい表情でこちらを見ている人物がいた。
「……こんなところでなにしてんの」
時枝くんがここにいることにも、声をかけられたことにも驚いて言葉が出ない。
立ち尽くしている私に歩み寄ってくると、彼はカバンの傍に置いていたコートを手にとって私の肩にかけてくれる。冷え切った身体が温かさに包まれて、指先からじわりと血が通ってくる感覚がした。
「顔青白くなってる」
目の前にいる時枝くんをじっと見つめる。
どうしてここに彼がいるのかと疑問に思ったけれど、家が近いと言っていた。今日私が声をかけたことをまだ覚えているだろうし、通りかかったときに姿が見えたので声をかけにきてくれたのかもしれない。
「……大事なもの、探してるの」
時枝くんは理解し難いといった様子で眉を寄せた。
「なに探してるのかわからないけど、こんな寒い時期に川に入って探すのは風邪ひくし危ないって」
「でも、もう失いたくないから」
今取り戻しても、元通りになんてならないのはわかっている。それでも、私と彼を繋いでくれたものを再び手にするために足掻きたかった。
「誰かにとっては馬鹿げたことかもしれないけど、私にとっては時枝くんとの大事なつながりだったの」