世界が私を消していく
怒りを含んだ言葉を向けられることはあっても、心の内を英里奈がここまで曝け出したのは初めてだ。
「私、英里奈のこと好きだった」
「は……?」
——内心私のこと見下してるでしょ。
「嘘じゃないよ。英里奈を見下したこともない」
英里奈から怒りを向けられたとき、あまりの衝撃にうまく言葉を返せなかった。だけど今だったら、私は自分の気持ちを言葉にして伝えられる。
「いつも場の空気を楽しくしてくれるから一緒にいて楽しかった。……だから英里奈の本当の気持ちを知ったとき、すごくショックだったの」
私を見つめていた英里奈の瞳が揺れ動く。そして糸が切れたように表情からは怒りが消えて、悲しげな色に染まった。
できることなら好かれたかった。友達でいたかった。
「でも英里奈がひとりになったときすぐ声をかけられなかったことや、知らないうちに苦しめていて、ごめんね」
「……っ」
「だけど、英里奈の裏で人に酷いことするような卑怯なところは嫌い。英里奈が私にしたこと、許すことはできない」
心の中で膨れ上がっていた怒りを英里奈に向ける。
面と向かって私に嫌いだと言われたことに驚いたのか、英里奈は表情を強張らせてながら唇を震わせた。
「……ごめ、っ……ごめんなさい」
か細いけれど、それは悲痛な叫びように聞こえた。
けれど、泣かれても優しい言葉をかけることはできない。
「バラさない代わりに、あのアカウントは削除して」
英里奈は嗚咽を漏らし、涙を流しながら頷いた。
そして、その日のうちに裏アカウントは跡形もなく消えた。
真衣がクラスの人たちにあのアカウントは紗弥ではなく、なりすましだと話したそうだ。
懐疑的な人もいたけれど、そういう人たちには証拠としてアカウントの電話番号の末尾も異なっていたのだと説明をしたらしい。
責任を感じているようで、真衣は積極的に誤解を解くために動いてくれたので、クラスの人たちから嫌な視線を向けられることは減っていった。
今はどちらかといえば、気まずそうに遠巻きに私を見ている人の方が多い。
「少し時間ある?」
帰りのホームルームが終わると、時枝くんが振り返ってそう言った。
話し合いの件について心配してくれているみたいだった。
ふたりで四階から屋上に続く階段に座ると、少しだけ沈黙が流れる。そして時枝くんがちらりと顔色をうかがうように私を見た。
「ちゃんと話せた?」
「うん。……元どおりにはなれないけど、それでも言いたいことは言えた」
四人で一緒にいた私たちは散り散りになった。
もう休み時間になっても集まることはない。それぞれが別の道を進み、仲が良かった頃のように会話をすることもないはずだ。
「スッキリした」
笑って言うと、時枝くんは眉を下げて静かに頷いてくれた。
私の感情を見透かされている気がして、取り繕うように明るい声で話を続ける。
「私の裏垢じゃないって真衣と由絵の誤解も解けてよかったし、裏垢もちゃんと消えてほっとしたよ」
「宮里」
制止するように名前を呼ばれて、頬が強張る。
「泣くの我慢しなくていいよ」
「……っ、でも」
時枝くんの前で醜い感情を吐露することを躊躇って、明るく振る舞うことによって前向きな姿を見せたかった。私はまたいい子でいようとしていたのかもしれない。
「されたことは、そんなすぐには忘れられないと思う」
「うん。……忘れるなんて簡単にできないよ」
話し合ってもなにもかもが綺麗に消化されるわけじゃない。
堪えきれずに涙が目の縁を濡らしていくと、時枝くんが抱き寄せた。優しい腕の中で私は溜め込んでいた感情を吐露していく。
「私の中では残り続けるのに、周りの人たちは忘れていくのかって思うと、心がぐちゃぐちゃになって、悔しくて……おかしいよね。忘れられた方がいいはずなのに、なかったことにされるみたいで嫌だなんて」
私が傷つけられた事実を、なかったことにされたくない。
裏垢を作って陥れた英里奈も、それを信じて周りに広めた真衣と由絵も、私の陰口を言った人たちも、みんな許せないって気持ちが心の奥底にある。
「なりすましをしていた犯人と同じになりたくない。でも……私と同じ苦しみを味わえばいいのにって……そんなこと何度も思っちゃう」
「理不尽なことをされて同じ苦しみを味わえばいいのにって思うことは誰にだってあるし、許せないことがあったっていいんだよ」
「……うん」
受けた傷はすぐには風化していかないし、生傷となって心に残り、これから先も思い出すたびにじくじくと痛むこともあるはずだ。
だけど、残ったのは痛みだけじゃない。
「時枝くん……傍にいてくれて、話を聞いてくれてありがとう」
抱きしめてくれている腕の力がわずかに強くなる。
裏垢が広まったときは、終わらない雨のように感じていた。
けれど、降り続いていた雨は止んで、不安定で柔らかな土が固まっていく。
誰かとぶつかって、辛い思いをすることだってあるけれど、泥に足を取られて立ち止まりたくない。
一歩ずつでもいいから強くなっていけるように、新しい日常をこれから歩いていきたい。